この話について
会社:常盤製作所/社員34名/内陸の工業団地/金属加工(板金・溶接・機械加工)の多品種少量
困っていたこと
- 12月、客先から10個の返品が来た。表面に浅いキズがある。原因を追おうとして、途中で追えなくなった
- 寸法の記録は残っている。残っていないのは、外観の判定だ。良品か不良かを決めているのは、工場長ひとりの目
- 検査場の棚に限度見本はある。ただし10年前の現物で、いまの品番のものではない
一 10個、戻ってきた
12月の朝は、工場に入るまでが寒い。
工業団地の道は日が当たらない側に霜が残っていて、朝の8時でも溶けていなかった。建屋の中は暖房を入れていないが、機械が回りはじめると温度が上がる。10時を過ぎると、上着を脱ぐ人が出てくる。
その日、事務所に入ると、応接室のテーブルに段ボールが1つ置いてあった。
「返品です」
瀬戸さんが言った。声が低かった。
箱の中に、緩衝材に包まれた部品が10個入っていた。手のひらに載る大きさの、削り出した円筒だ。9月に納めたもので、その月に出したのは200個。そのうちの10個が戻ってきた。
北島さんが、1つを手に取って、蛍光灯にかざした。
「わたし、見ても分からないんですよ」
「どこにあるんですか」
「ここだそうです」
北島さんが指したところに、細い線があった。長さ4ミリほど。爪を立てても引っかからない。光の角度を変えると見えて、正面から見ると消える。
入江さんが呼ばれて、応接室に来た。作業服のまま、1つを取って、斜めにかざした。すぐに手を止めた。
「ああ、これね」
「分かりますか」
「分かる。これは、刃物が終わりかけのときに出るやつ」
入江さんは、10個を1つずつ見ていった。3分もかからなかった。
「10個とも同じだね。同じ日に作ってる」
「日にちが分かるんですか」
「分かるよ。……いや、分かるっていうか、そう思う」
北島さんが、そこで口を開いた。
「入江さん。これ、出しちゃったんですよね」
「出したね」
「誰が、出していいって決めたんですか」
入江さんは、部品を箱に戻した。
「わたしじゃないと思う」
「じゃあ、誰ですか」
「……分からんね」
その日の午後、追いはじめた。
北島さんは、追う前に1つだけ言った。
「上田さん。犯人捜しは、しないでください」
「しません」
「うち、そういうのをやると、誰も何も言わなくなるので」
北島さんは、箱の蓋を閉じた。
「知りたいのは、誰が見落としたかじゃないです。うちが、何を見て出しているのかです」
二 1分で出たもの、出なかったもの
6月に置き場のボタンを付け、8月に成績書の欄を足している。だから、記録は前より格段に残っている。
いつ作ったか。 ロット番号から、9月11日と出た。1分もかからなかった。
どの機械か。 3番機。同じ画面に出ている。
誰が段取りを替えたか。 記録していない。ただ、9月11日は3人しか出勤していない日で、そのうち3番機を触れるのは1人だけだった。
材料はどのロットか。 生産管理に入っていた。8月に入ったコイル材の、後ろのほう。
測った値は。 成績書がそのまま出てきた。11か所とも規格の中に入っている。φ12.00の公差内。真円度も問題ない。
同じ日に、同じ機械で、ほかに何を作ったか。 9月11日の3番機の記録が出た。この品番の前に2つ、あとに1つ。前の品番は、鋳物の荒削りだった。
「これ、関係ありますか」
入江さんに聞くと、うなずいた。
「あるね。鋳物のあとは、刃物が減るのが早いの。砂を噛んでるからね」
ここまで、10分で揃った。
「早いですね」
北島さんが、少し驚いた顔をした。
「去年これをやったら、たぶん3日かかりました」
「そうですか」
「3日かけて、たぶん途中で諦めてます」
そして、そこから先が出てこなかった。
この10個を、誰が、どう見て、出せると判断したのか。
成績書には「測定者」の欄がある。9月11日の分は、検査の52歳の人の名前が入っていた。だが、その欄が意味しているのは寸法を測った人であって、外観を見た人ではない。
検査場へ行って、その人に聞いた。
「9月11日の、この品番のことなんですけど」
「覚えてないですね」
その人は、素直に言った。
「1日に何十種類も見るので。……ただ、この品番でキズが出たら、わたしは入江さんを呼びます」
「必ずですか」
「必ずです。判断できないので」
「呼んだかどうかは」
「覚えてないです」
63歳の人にも、61歳の人にも同じことを聞いた。同じ答えだった。呼ぶかもしれないし、そのとき入江さんが忙しければ、自分で判断したかもしれない。
「自分で判断されることは、あるんですか」
63歳の人は、少し言いにくそうにした。
「あります」
「どういうときですか」
「出荷が押してるときです」
その人は、測定台のほうを見た。
「トラックが来てて、あと10分っていうときに、入江さんが3番機にいたら。……歩いていくと、往復で4分かかるので」
「そういうときは」
「自分で、こんなもんだろうと決めます」
その人は、こちらを見た。
「悪いことをしてる自覚は、あります。でも、止めたら止めたで、あとで理由を聞かれるので」
わたしは、ノートにこう書いた。
寸法は残っている。外観は、誰の記憶にも残っていない。
三 棚の、10年前
検査場の壁に、金属の棚がある。
その上に、部品が並べてあった。数えると、11個。どれも表面に何かしらの傷や変色がある。
「これが限度見本です」
52歳の人が教えてくれた。
「ここまでなら出していい、っていう見本です。これより悪かったら、出さないです」
わたしは、1つを手に取った。表面が曇っている。指で拭くと、少し白い粉がついた。
「これ、いつのものですか」
「わたしが来る前からあります」
「何年前でしょうか」
その人は、入江さんを呼びに行った。
入江さんは、棚を見て、少し笑った。
「10年前だね。これ、うちがまだ○○さんの仕事をやってたころの部品だから。あの仕事、もう終わってるよ」
「いまの品番のものは」
「ないね」
「作らないんですか」
「作らないっていうか」
入江さんは、棚の11個を指でなぞった。
「これ、作るのが大変なんだよ。わざとキズをつけた現物を取っておくってことだから。出せないやつを、捨てずに残しておかないといけない。忙しいと、そこまで手が回らないの」
「10年前に、これを作ろうと思われた理由は」
「同じことがあったんだよ」
入江さんは、棚の11個を見たまま言った。
「返品。あのときは30個返ってきた。それで、先代に言われてね。二度とやるな、って」
「それで、見本を」
「作ったよ。3か月かけて。……そのあと仕事が変わって、品番が入れ替わって、それきり」
入江さんは、棚から手を離した。
「同じことを、10年やってるね。わたしは」
わたしは、検査の3人が入江さんを呼ぶ回数を数えた。3日間で、27回。1日9回だ。
そのうち、寸法のことで呼ぶのは3回だけだった。あとの24回は、全部外観だった。
「これ、出せますか」
その一言のために、入江さんは1日に9回、工場を横切っている。6月に減らしたはずのものが、別の形でここにあった。
その数字を、北島さんに見せた。
紙を受け取って、北島さんは長いこと黙っていた。
「うちは、何を根拠に、出せると決めているんですか」
わたしは、答えなかった。答えは、この人の頭にもう出ていたと思う。
「入江の目、ですね」
「はい」
「あと1年3か月です」
北島さんは、そう言った。
四 斜めに、かざす
やることは、決まっていた。
入江さんが「出せる」「出せない」と言った現物を、その場で撮る。
判定を機械にやらせるつもりは、最初からなかった。良品か不良かを決めるのは入江さんで、そこは変えない。撮るのは、入江さんが決めた結果のほうだ。
3日目に、最初の壁にぶつかった。
撮った写真を、入江さんに見てもらった。50枚ほどある。1枚ずつ画面に出して、「これはどっちですか」と聞いていく。
入江さんは、5枚目で止まった。
「これ、分からんね」
「分かりませんか」
「うん。写真だと分からない」
その5枚目は、入江さん自身が3日前に「出せる」と言った現物だった。
原因は、すぐに分かった。光だ。
入江さんは、部品を手に取ると、必ず斜めにかざす。蛍光灯に対して、だいたい30度。そして、手首を細かく動かして角度を変える。キズは、ある角度でだけ見える。正面から見ると消える。
わたしが撮った写真は、真上から、まっすぐ撮っていた。それでは、入江さんが見ているものが写らない。
「入江さん。いま、どうやって見てらっしゃいますか」
「どうやってって」
入江さんは、部品を持ち上げた。
「こう」
「その角度、決まってますか」
「決まってないよ。動かすの」
「動かして、何を見てますか」
「線が出るところを探してる」
わたしは、その日の夕方に、入江さんの手を撮らせてもらった。
部品を持ち上げてから、判定を口に出すまで。5個ぶんを撮って、あとでゆっくり見た。
平均で、4秒だった。
その4秒のあいだに、入江さんは手首を3回から5回、動かしている。角度を変えるたびに、目の位置も少し変わる。部品を回しているのではなく、光と目と部品の三角形を作り直している。
写真は、その三角形のうちの1つしか写せない。だから、どの1つを写すかを決めないといけない。
その日、萩野くんに手伝ってもらった。撮影のための台を作る。
材料は、工場にあるものだけだ。アルミの端材で角度のついた板を切り出して、上に部品を置く。その横に、机の照明を1つ。萩野くんが、入江さんに何度も確かめながら角度を決めた。
「入江さん、これくらいですか」
「もうちょっと寝かせて」
「これは」
「うん、それ。それで見える」
決まったのは、部品を28度傾け、光を横から当てる形だった。台に印をつけて、毎回同じ角度で置けるようにした。
その台で撮り直した写真を、入江さんに見せた。
入江さんは、1枚目を見て、すぐ言った。
「これは出せる」
「分かりますか」
「分かる。これ、わたしの見え方だね」
五 3週間で、214枚
そこから3週間、撮り続けた。
やり方は単純だ。検査の3人が迷って入江さんを呼ぶ。入江さんが来て、部品を斜めにかざして、「出せる」か「出せない」を言う。そのあと、その現物を台に置いて撮る。
撮るのは萩野くんの役目にした。1枚30秒で終わる。
最初の3日は、萩野くんが撮り忘れた。入江さんが判定して、部品が箱に入って、そこで気づく。
「すみません、いま入れちゃいました」
4日目に、萩野くんは台を検査場の入口へ移した。入江さんが検査場に入ってくる動線の上だ。呼ばれた入江さんは、必ずその横を通る。
「これ、置き場のボタンと同じですね」
萩野くんが言った。
「同じです」
「もう歩いてる場所に置く、ってやつです」
その日から、撮り忘れは1件も出なかった。
「出せない」と言われたものは、そのまま撮ってから、不良の箱へ行く。「出せる」と言われたものは、撮ってから出荷される。どちらも捨てない。写真は残る。
3週間で、214枚集まった。
内訳は、「出せる」が131枚、「出せない」が83枚だった。
これを、AIに並べさせた。
頼んだのは、1つだけだ。似ているもの同士を集めて、いくつかの山に分けてください。 山の名前も、数も、こちらからは決めていない。
AIは、6つの山を作った。
- キズが非常に短いもの
- キズが短いもの
- キズが中くらいのもの
- キズが長いもの
- 面が広く曇っているもの
- 打痕のあるもの
長さの順に並んでいた。きれいな並びだった。
入江さんに見せた。
入江さんは、画面を上から下まで見て、それから首を振った。
「これは違うね」
「違いますか」
「長さじゃないんだよ」
入江さんは、画面の1枚を指した。3ミリほどの短いキズだ。
「これは出せない」
次に、別の1枚を指した。8ミリある。
「これは出せる」
「長いほうが、出せるんですか」
「うん」
入江さんは、自分の指を部品の絵の上で滑らせた。
「場所なの。このキズが、合わせ面に乗ってるかどうか」
合わせ面というのは、この部品が相手の部品と接する場所だった。そこにキズがあると、組んだときに隙間ができる。長さは関係ない。0.5ミリでも、そこにあったら出せない。
逆に、合わせ面から外れていれば、8ミリでも見た目の問題にしかならない。
「じゃあ、この6つの山は」
「捨てていいよ」
入江さんは、あっさり言った。
その日から、分け方を入れ替えた。
似ているものを機械に集めさせるのは、そこでやめた。
かわりに、入江さんが自分の手で分けた。214枚を印刷して、会議机に広げて、手で動かす。萩野くんが横で番号を控える。
2日かかった。
1日目の夕方、机の上は5つの山になっていた。翌朝、入江さんは1つの山を崩して、2つの山へ分けて入れ直した。
「これ、昨日は分けてたんだけど」
「違いましたか」
「同じだったの。寝て起きたら、同じに見えた」
出てきたのは、4つの山だった。
1. 合わせ面に乗っているもの(長さに関係なく、出せない)
2. 合わせ面から外れているもの(長さと深さで決まる)
3. 曇り・変色(拭いて消えれば出せる。消えなければ出せない)
4. 打痕(深さで決まる。角が潰れていたら出せない)
そして、2番の山の中で、入江さんは1本の線を引いた。
「ここから下は、出せる」
その線の上と下を、AIに見せた。今度は、分ける仕事ではない。入江さんが引いた線が、写真の上でどこにあるかを言葉にしてくださいと頼んだ。
出てきたのは、こうだった。
「合わせ面から外れた位置にある、長さ6ミリ以下で、光を変えても影が出ない程度の深さのもの」
入江さんは、それを読んで、1か所だけ直した。
「6ミリじゃなくて、5だね。6は、ぎりぎりすぎる」
「1ミリ厳しくするんですか」
「厳しくするんじゃないの」
入江さんは、鉛筆の先でその行を指した。
「わたしが6で迷ってるってことは、次の人は7で迷うから。5にしておけば、次の人は6で止まる」
その一言は、そのままメモ帳に写した。
基準を書くというのは、線を引くことではない。線を引く人が変わったときに、どちらへずれるかを決めることだった。
六 新しい見本
年が明ける前に、棚を作り替えた。
10年前の11個は、捨てなかった。棚の下の段に移した。
上の段に置いたのは、写真だった。214枚から、入江さんが16枚を選んだ。4つの山ごとに、「出せる」のいちばん際どいものと、「出せない」のいちばん際どいものを並べる。
写真は、印刷してラミネートした。裏に、入江さんの言葉をそのまま1行だけ入れた。
「合わせ面に乗ってたら、長さは関係ない」
「拭いて消えるなら、それは汚れ」
「角が潰れてたら、深さを見るまでもない」
画面でも見られるようにした。検査場のタブレットで、品番を入れると、その品番の16枚が出る。撮った日と、そのとき入江さんが何と言ったかも一緒に出る。
この道具も、できあがる前から検査場に置いた。最初の版に入っていたのは、4つの山のうち1つだけだ。それでも検査場のタブレットに入れて、使ってもらった。
3週間で、直しは14回入った。いちばん多かった直しは、写真の並び順だった。
「これ、出せるほうを上にしてください」
52歳の人が言った。
「なぜですか」
「迷ったときって、出したいんですよ。出したいから迷うので。出せる例を先に見ると、甘くなります」
その日から、「出せない」の写真が上になった。
もう1つ、63歳の人から出た直しがある。
「写真の横に、実物の寸法を入れてほしいです」
「キズの長さですか」
「そうです。画面だと大きさが分からないので。5ミリって書いてあっても、画面の中では2センチに見えるので」
写真の中に、目盛りを写し込むようにした。萩野くんが、台の横に薄い金属のスケールを立てた。
3つ目の直しは、入江さんから出た。
「これ、日付を入れといて」
「撮った日ですか」
「うん。あと、そのとき出荷したかどうかも」
「なぜですか」
入江さんは、少し考えてから言った。
「出したやつは、返ってこなかったってことだからね。1年たっても返ってこなかったら、その判定は正しかったってことになる」
「返ってきたら」
「そのときは、写真を1枚、下の段に落とす」
その仕組みを足した。返品が出たら、その品番の写真を見直して、基準を引き直す。1年で何枚落ちるかは、まだ分からない。
北島さんにその話をすると、こう言った。
「それ、うちの品質基準が変わるってことですよね」
「そうです」
「変わっていいんですか」
「変わらないほうが、おかしいと思います」わたしは言った。「10年前の見本が棚にあったのは、基準を変えなかったからではなくて、変えるやり方が無かったからです」
北島さんは、少し笑った。
「変えるやり方、ですか」
「はい。決めるのは、いまも入江さんです。ただ、決め直せる形にはなりました」
七 1月、入江さんが呼ばれなくなった
1月の半ばに、もう一度寄った。
その日は雪だった。工業団地の道が白くなっていて、フォークリフトが前庭で往復して雪を寄せていた。
検査場へ行くと、52歳の人が部品を斜めにかざしていた。
そのあと、その人は入江さんを呼ばなかった。かわりに、横のタブレットを見た。品番を入れて、16枚の写真を出して、上から3枚目のところで止めた。
「出せます」
そう言って、部品を良品の箱に入れた。
「入江さんに聞かなくていいんですか」
「聞かないです」
その人は、次の部品を手に取った。
「これと同じのが、3番目に載ってるので」
入江さんが検査場へ呼ばれる回数を、また3日間数えた。
1日9回が、1回になっていた。
検査の3人にも聞いた。
「入江さんを呼ばなくなって、どうですか」
52歳の人は、しばらく考えてから答えた。
「楽です。……いや、楽っていうか」
その人は、言葉を探していた。
「前は、呼ぶのが申し訳なかったんです。3番機から歩いてくるので。それで、呼ばずに自分で決めたときは、あとで気になって」
「気になる」
「夜、思い出すんですよ。あれ、出してよかったのかなって」
その人は、タブレットを指した。
「いまは、思い出さないです。画面に載ってるので」
「残った1回は、なんですか」
入江さんに聞くと、こう答えた。
「新しい品番だね。写真がまだ無いやつ」
「そのときは」
「わたしが見て、その場で撮ってもらう。それで、次からは載ってる」
入江さんは、検査場の棚を見た。上の段に、ラミネートした写真が並んでいる。
「これ、増えてくからね」
北島さんは、応接室で、返品の段ボールをまだ置いていた。
「あれ、片づけないんですか」
「片づけないです」
北島さんは、テーブルの上の箱を手で押した。
「12月に、上田さんに聞かれたでしょう。うちは何を根拠に、出せると決めているんですかって」
「聞かれたのは、社長のほうです」
「そうでしたか。……どっちでもいいです。あれ、うちで誰も考えたことがなかった問いなので」
北島さんは、箱の蓋を開けて、部品を1つ取った。斜めにかざす。入江さんと同じ持ち方だった。
「いまは、答えられるんですか」
「答えられます」北島さんは言った。「合わせ面に乗ってたら出せない、って言えます。……意味は、半分しか分かってないですけど」
「半分で十分だと思います」
「そうですか」
「取引先に聞かれたときに、根拠を出せるのは会社です。入江さんではなく」
北島さんは、部品を箱に戻した。
帰る前に、検査場に寄った。
入江さんが、棚の下の段を見ていた。10年前の11個が、そこに並んでいる。
「捨てないんですね」
「捨てないよ」
入江さんは、そのうちの1つを取った。
「これ、わたしが作ったんだよ。わざとキズつけて」
「作られたんですか」
「10年前にね。同じことを考えたんだと思う。……ただ、11個で力尽きたね」
入江さんは、その部品を棚に戻した。
「214枚は、無理だったよ。1人じゃ」
入江さんは、上の段の写真を1枚だけ手に取った。ラミネートの角を、指でなぞる。
「これね、わたしが死んでも残るでしょう」
「残ります」
「そこがいいんだよ」
入江さんは、それを棚に戻した。
「見本の現物は、10年で錆びるからね。写真は錆びないから」
残ったもの。 出せるかどうかは、誰でも言えるようになった。工程は見え、書類は流れ、注文は朝のうちに載り、段取りは22分になった。
ただ、1つだけ、まだ何も変わっていないものがある。
帰り際、応接室の前を通ると、北島さんが電話をしていた。
「はい。……はい、図面をいただければ。……そうですね、3日ほどいただければ、お出しできます」
電話が終わって、北島さんが顔を上げた。目が合った。
「新しいお客様なんです」
「3日、ですか」
「3日です」
北島さんは、受話器を置いた手をそのままにしていた。
「たぶん、取れないと思います。……早いところは、その日のうちに出しますから」
