【#2】「あれ、どこまで行ってる?」 ─ ある金属加工会社の置き場

目次

この話について

会社:常盤製作所/社員34名/内陸の工業団地/金属加工(板金・溶接・機械加工)の多品種少量/社員の平均年齢49歳

困っていたこと

  • 工程表が無い。 ホワイトボードも生産管理の画面も使っていない。注文の一覧と受注のFAXが工場長の机に積んであり、その紙の並び順が、そのまま作る順番になっている
  • 「あれ、どこまで行ってる?」と聞かれるたび、工場長は工場へ歩いて、現物を見に行く
  • 去年、その工場長が1週間入院した。そのあいだ、誰も客先に納期を答えられなかった

一 聞けなくなった質問

6月の初めに、もう一度、常盤製作所へ行った。

前に来たのは4月だ。あの3日間、わたしはほとんど事務所にいた。注文がどうやって入ってくるのかを見ていて、工場の中へは、通り抜けるときにしか入らなかった。梅雨に入る前で、工業団地のケヤキは、すっかり葉になっている。

応接室のテーブルには、前と同じ部品が7つ並んでいる。北島修さん、44歳。この会社の2代目社長で、今日も白いワイシャツの上に紺の作業服を羽織っていた。

「瀬戸が、朝に来なくなりました」

北島さんは、そう言って笑った。

「6時50分だった人が、7時50分です。20年ぶりだと言っていました。注文のほうも落ち着きました。何をいつまでに作るかは、朝いちばんに全部出ています」

北島さんは、そこで笑うのをやめた。

「……ただ、そこから先が、前と同じなんです」

「そこから先、というのは」

北島さんは、窓を指した。応接室から、工場の建屋の側面が見える。

「あの工場の中で、いま何がどこまで進んでいるのか。やっぱり、わたしは知らないんです」

4月に聞いたのと、同じ言葉だった。違うのは、今度は自分でそう言っていることだった。

「入江さんは、ご存じなんですよね」

「知っています。あの人だけが」

工場長の名前だった。入江誠さん、62歳。この会社に38年いる。

「あの人の机に、注文の紙が積んであるんですよ。それを入江が並べ替える。その並び順が、うちの作る順番です。紙が電子で来るようになっても、そこは何も変わっていません」

「工程表は」

「ありません。ホワイトボードも、生産管理の画面も」北島さんは、はっきりと言った。「生産管理は20年前から入っています。受注と出荷と請求は、それで回しています。でも、工場の中は載っていません」

「40年、そうやってこられたんですね」

「そうです。それで回ってきたんです」

北島さんは、テーブルに肘をついた。

「わたしが『あれ、どこまで行ってる?』と聞くと、入江は工場へ歩いていきます。見てきて、戻ってきて、教えてくれる。……それで、だんだん聞けなくなりました」

「聞くたびに、あの人が歩くので」

「そうです」

北島さんは、そこで少し早口になった。

「上田さん。入江は、再来年の3月で定年なんです。父が一人でやっていたころからいるんですよ。わたしが小学生のときには、もういました。……2年を切りました」

北島さんは、窓のほうを見たまま言った。

「あの人が持っているもの、全部は引き継げないと思うんです。でも、そのあいだに、少しでも外に出したい。……何をお願いすればいいのかは、正直、分かっていません」

「3日、いただけますか」

「また事務所ですか」

「今度は、工場です」

北島さんは、意味を測るような顔をした。

「入江さんの後ろを、歩きます。座って見せていただくつもりでしたが、工場長さんは座らないと伺ったので」

北島さんは、笑った。

「座りませんね。あの人が椅子に座っているのを、わたしは月末の棚卸しの日にしか見たことがないです」

これまで入った会社では、最初の3日を、たいてい誰かの机の横で過ごしてきた。手元さえ見ていれば半分は分かる、と思っていた。常盤製作所の工場では、その3日間、ほとんど椅子に座らなかった。

二 6時40分のトレイ

入江さんは、朝6時40分に来る。

工場の通用口の鍵を開け、事務所の電気をつけ、コンプレッサーのスイッチを入れる。それから自分の机に行く。トレイのいちばん上に、前の日の夕方に出た注文の一覧と、そのもとになった紙が重なっている。

入江さんは立ったまま、その紙を1枚ずつ見ていく。見ながら、順番を入れ替える。抜いて、下に差し、また抜く。5分ほどでそれが終わり、揃えてトレイに戻す。

4月までは、これに7分かかっていた。前の日の分を朝に並べていたからだ。2分縮んで、並べる紙が今日の紙になった。ただ、並べているのは、いまも同じ人だった。

「これ、どうやって決めてるんですか」

「納期だよ」

入江さんは、こちらを見ずに答えた。作業ズボンに、袖を切った作業服。背は高くないが、腕が太い。

7時、製造の人たちが入ってくる。入江さんは一人ずつに挨拶をして、トレイの上から3枚を抜き、工場へ持っていった。天井の高いところに窓があり、朝の光がまっすぐ落ちている。機械が16台、通路を挟んで並ぶ。入江さんは、その柱に紙をマグネットで留めていく。

7時50分、朝礼。通路に全員が集まって、3分で終わった。

8時。入江さんが、歩き始めた。持っていたのは、メモ帳が1冊と、ボールペン。鞄は事務所に置いてきた。

1日目に数えたのは、話しかけられた回数だった。

8時14分、瀬戸さんが事務所から出てきて、入江さんを呼んだ。取引先から、来週納品ぶんを前倒しできないかと聞かれているという。入江さんは工場の奥へ歩き、3番機の前でしゃがみ、置いてある箱の中身を見て、戻ってきた。

「無理だな。あと2日」

9時5分、北島さんが工場に降りてきた。

「入江さん、丸和さんの分、どこまで行ってる?」

入江さんは、工場の反対側へ歩いていった。

わたしは、そのたびに時刻と、往復にかかった時間を書いた。工場は、端から端まで60メートルある。1回あたり、平均で4分だった。

3日間の平均で、話しかけられて工場を歩いた回数は1日23回、合計1時間半だった。

2日目の昼休み、入江さんに聞いた。

「あの紙は、貼りっぱなしですか」

「終わったら、モノと一緒に置き場へ行くの」入江さんは、弁当の蓋を閉じながら言った。「だから、機械の柱から紙が無くなってたら、終わってるってこと」

「じゃあ、置き場を見れば分かるんですね」

「分かるよ」

入江さんは、そこで少し口を曲げた。

「……ただ、置き場は4つあってね」

板金、溶接、機械加工、検査。工程が進むごとに、置く場所が変わる。そして、紙は落ちる。台車から滑って床に落ちる。油が染みて品番が読めなくなる。誰かが別の束と一緒に持っていってしまう。

3日目の夕方、工場の裏で、一つだけ聞いた。

「入江さん。工場を歩いてらっしゃるのは、確かめに行ってるんですか。それとも、探しに行ってるんですか」

入江さんは、少し考えた。それから、意外そうな顔をした。

「探してるね」

「どちらが多いですか」

「……探してるほうが多いな」

入江さんは、開いた手のひらを見た。

「あるはずのところに無いから、歩くの」

三 去年の、1週間

瀬戸絵里さん、50歳。事務所の窓際で、生産管理をひとりでやっている。4月に朝の打ち込みが無くなったが、納期の回答も、出荷の手配も、いまもこの席から出ていく。

「納期を聞かれたら、どうされてますか」

「確認して、折り返します、って言います。毎回です」

「1日に、何件くらい」

「10件は超えてると思います。多い日は20件近いです」

「折り返せていますか」

「入江さんが工場にいる日は」

わたしは、その言い方に引っかかった。

「いない日が、あるんですね」

瀬戸さんは、手を止めた。

「去年の9月に、1週間休んだんです。胆石で。そのあいだ、わたし、お客様に『確認して折り返します』しか言っていません」

瀬戸さんは笑った。笑いながら、目は笑っていなかった。

「折り返せなかったんです。工場へ行って聞くんですけど、みんな自分の機械のことしか分からないので。『それは俺のじゃない』って言われて、次の人のところへ行って、また『それは俺のじゃない』って」

その週の結果を、あとで数字にしてもらった。納期に間に合わなかったものが3件。急ぎの車を5回出した。土曜に4人出てもらった。

「入江さんが月曜に出てきて、30分で全部わかったんです。工場を1周して、それだけで」

その日の午後、萩野くんに話を聞いた。4月に瀬戸さんの横でノートを取っていた、あの若手だ。萩野翔太くん、27歳。製造4年目。

「あの週、僕、工場を1日に何周もしました。入江さんの代わりに、聞かれたことを見に行ってたので。でも、見ても分からないんですよ。溶接が終わったのか、これから溶接なのか、見分けがつかない品番があって」

「入江さんは、見分けられるんですね」

「見分けます。あの人、触ります」

その夜、宿でメモを読み返した。3日ぶんの記録には、入江さんが歩いた時刻と行き先が並んでいる。23回、4分、1時間半。1年で言えば、350時間になる。

だが、問題はそこではなかった。

歩いていることが問題なのではない。歩ける人が、一人しかいないことが問題だった。

入江さんが1週間いなくなったとき、この会社は、自分の工場の中で何が起きているかを外に説明できなくなった。モノは全部そこにあったのに、だ。

わたしは、その行の下に線を引いた。

四 3日以上、誰も触っていないもの

翌週から、工場に立った。

やったのは、数えることだけだ。仕掛かり中の製番を1件ずつ、いつ、どこにあるかを記録する。朝の8時と、夕方の4時半。1日2回、工場を1周して、手で書く。入江さんが歩いていた道を、わたしが歩いた。15日間で、記録は1,400行を超えた。

それをAIに読ませ、品番ごとに時系列に並べ直させて、同じ場所に何日置かれていたかを出させる。ここは機械のほうが速い。表になるまで、半日だった。

  • 仕掛かり中の製番が、常時47件
  • そのうち19件が、3日以上、同じ場所に置かれたまま動いていない

次に、その19件が、なぜ止まっているのかを分類させた。分類の名前は与えず、「いくつに分かれるかは、あなたが決めてください」とだけ書いた。AIは、5つに分けた。材料待ち。図面の変更待ち。次の工程の機械が空かない。検査待ち。そして、不明。

それを印刷して、入江さんに見せた。入江さんは老眼鏡をかけ、紙を上から下まで読んで、5つ目の行を指で押さえた。

「これ、不明じゃないよ」

「違いますか」

「伝わってないの」

入江さんは、その行に鉛筆で線を引いた。

「材料待ちってのも半分は同じだよ。材料が来てないんじゃなくて、材料が来たことを誰も知らないだけの日があるの。トラックが着いて、荷受けの人が置き場に入れて、それで終わり。使う人は知らないままだから」

数え直した。19件のうち、8件がそれだった。前の工程は終わっている。モノもできている。次の工程の人が、それを知らない。

もう一つ、去年1年ぶんの運送費の伝票を出してもらった。定期の便ではなく、間に合わせるために単発で頼んだ車だけを抜き出す。

42回。1回3万円から8万円で、合計およそ190万円。

土曜の出勤も数えた。年間で、延べ212人日。どちらも、納期に間に合わせるために出ている。

その週の終わりに、北島さんの机に紙を置いた。行は3つしかない。

  • 御社の工場は、止まっていません。止まっているのは、モノです
  • 仕掛かり中の47件のうち、19件が3日以上動いていません。うち8件は、終わったことが次の人に伝わっていないだけです
  • 去年、間に合わせるために出した車が42回、およそ190万円。土曜の出勤が、延べ212人日

北島さんは、2行目と3行目を交互に読んでいた。

「190万」

指で、その行をなぞった。

「わたし、これを毎年払ってたんですね。しかも、払ってる自覚がなかった」

「運送費として、月々に散らばっているので」

「そうか。月に15万ですもんね。それくらいなら、誰も何も言わない」

北島さんは、紙を置いた。

「8件、というのは」

「終わっているのに、次の人が知らないものです」

「うちの製造は、22人ですよ。同じ建屋の中にいて、それで伝わっていないんですか。歩いて30秒ですよ」

「30秒歩くには、手を止めないといけません」

北島さんは、何か言いかけて、やめた。

五 予定は、書かない

工程表を作りましょう、とは言わなかった。そのかわり、入江さんにこう聞いた。

「入江さん。これ、前に一度、やってますよね」

入江さんは、驚いた顔をした。

「なんで分かるの」

「事務所の壁に、ホワイトボードを掛けてあった跡があります。横に2メートルくらいの」

入江さんは、少しのあいだ黙った。

「8年前だね。先代のときに、システムの会社の人に勧められて、工程表を書いた。3週間でやめたよ」

「なぜでしょうか」

「予定を書く欄があるとね」

入江さんは、指で空中に横線を引いた。

「書けなくなるの。うちは、予定が3日で変わるんだよ。客の内示が動くから。予定を書いたら、書いた人が直さないといけない。直すのは、わたしでしょう。書くのに1時間、直すのに毎日30分。そのうち、誰も見なくなった」

「それと、もう一つあってね」

入江さんは、工場のほうを見た。

「予定より遅れてる、って書いてあるとね。書かれた人が、嫌な気持ちになるの。あれは、よくないよ」

わたしは、その2つをメモ帳に書いた。

予定を入れない。始まりも入れない。終わったものだけを入れる。

「終わったものだけ?」

「はい。始まりも、いつまでにやるかも、書きません」

「それで、何が分かるの」

「残っているものが分かります。残っているものは、いま工場の中に、モノとして目に見えています。見えていないのは、終わったものが終わったと伝わっていない、そこだけなので」

入江さんは、返事をしなかった。ただ、否定もしなかった。

その週、もう一つやったことがある。

「入江さん。作る順番って、どうやって決めてるんですか」

「納期だよ」

「3日、後ろで見ていましたが、納期順ではなかったです」

入江さんは、声を出して笑った。

「まあ、そうだね」

録音させてもらって、30分ほど喋ってもらった。順番を決めるとき、頭の中で何を見ているか。それを文字にして、AIに整理させると、条件が14個出てきた。入江さんは、その紙を見て、6つ消した。

「これは違う。金額の大きい順なんて、見てないよ。大きいのが遅れても、小さいのが遅れても、怒られ方は一緒だから」

そして、3つ足した。

「材料が中途半端に残るやつは、先にやる。あとで足りなくなるからね」

「丸和さんの品番は、月曜の朝いちに流す。あそこは、月曜に電話してくるので」

最後の一つを言うとき、入江さんは少し口ごもった。

「あと、機械の機嫌。3番機は、朝いちだと寸法が出ないの。20分は温めないと。だから3番機の細かいやつは、朝には流さない」

残ったのは、11個だった。わたしは、その11個を、道具の中には入れなかった。

「入れないの?」

「入れません。順番を決めるのは、入江さんです」

入江さんは、鉛筆を置いた。

「じゃあ、なんで聞いたの」

「紙にしておきたかったからです」わたしは言った。「この11個は、いつか萩野くんが覚えるものだと思っています。そのときに、渡すものが要ります」

入江さんは、何も言わずに、その紙を作業服の胸ポケットに入れた。

六 「押してないのは、ボタンだけです」

作ったものは、単純だった。

4つの置き場に、画面を1つずつ置く。運んできた人が、自分がいま置いたものを選んで、押す。押されると、次の工程の担当者と瀬戸さんの画面に出る。事務所の壁には、47件がいまどこにあるかが一覧で出て、3日以上動いていないものには色がつく。

いつもどおり、半分しか動かないものを、毎日見せた。初日の版は、板金の置き場しか動かなかった。

3日目までは、押された。1日目38回、2日目31回。4日目、9回。5日目、4回。

6日目の朝、板金の置き場の前に、半日立っていた。台車を両手で押してきた人が、モノを棚に載せる。そして、そのまま次の機械へ戻っていく。画面の前で立ち止まる理由が、どこにもない。

その日の午後、萩野くんに聞いた。

「押すの、面倒ですか」

萩野くんは、しばらく言葉を探していた。

「面倒っていうか……」

「言ってください。直せるので」

「押すために、手を洗うんですよ。画面、触っても反応しないんです。手袋してるので。脱いで、拭いて、押して、また着ける。それで1分くらいかかります。……1分なんですけど、1日に6回あるので」

そして、萩野くんは言った。

「上田さん。僕ら、手は汚れてますけど、台車は毎回押してるんですよ。押してないのは、ボタンだけです」

もう一つ、入江さんから聞いた話があった。

「4番の人がね、押さないって言うんだよ。自分の仕事が誰かに見張られるのが嫌なの」

4番機は、いちばん奥にある旋盤だ。担当しているのは、この会社に31年いる人だった。入江さんは、少し笑った。

「……ま、わたしもそう思うよ」

その日のうちに、2つ直した。

一つ。画面をやめた。置き場の柱に、大きい押しボタンを1つ付けた。工作機械の起動ボタンと同じ形の、手のひらで叩けるやつだ。手袋のままでも、手の甲でも押せる。入江さんが朝に機械へ貼っている帳票の右上には、二次元コードを刷るようにした。様式に足すだけで済んだ。運んできた人は、その紙を読み取り機にかざして、ボタンを叩く。

2秒だった。

二つ。画面から、人の名前を消した。品番と、場所と、時刻だけを出す。誰が押したかは、記録しない。

入江さんは、それを聞いて工場の奥へ行き、しばらくして戻ってきた。

「名前が出ないんなら、いいって」

押された回数は、その日から変わった。48回、51回、46回。工程を移った回数と、ほぼ一致した。

3週間で、直しは23回入った。ボタンが高すぎる。読み取り機のランプが見えない。溶接の置き場は棚が2つあるので、ボタンも2つ要る。

10日目に、入江さんが手を止めて聞いた。

「これ、直すのに何日かかるの」

「昨日おっしゃったぶんは、もう入っています。作り直すほうが早いので、毎回、作り直しています」

入江さんは、ボタンを2回、続けて叩いた。

「じゃあ、細かいことを言ってもいいのか」

「細かいことしか、言われたくないです。ここは高い、ここは見えない。そういうのが、いちばん効くので」

12日目に、一度だけ、危ないことが起きた。

画面に「次はどこへ行くか」を出すようにしていた。AIが、これまでの記録から次の工程を推定して、先回りで表示する。4番機の品番に、「次は機械加工」と出た。

それを見た入江さんが、足を止めた。

「これは、一度、外に出るの。メッキ屋さんに出すんだよ。3日かかる。機械加工はそのあと」

その品番だけ、外注に出る工程が挟まっていた。記録の中では、置き場から3日間消えて、また戻ってくるように見える。AIは、それを「止まっている」と読んでいた。

わたしは、推定をやめた。次の工程は、入江さんが朝に決めた順番を、そのまま出すだけにした。機械は、決まったことを覚えているだけになった。

「それでいいの?」

「いいです。決めるのは入江さんなので」

入江さんは、うなずいた。

「そのほうがいいよ。決めるのはわたしでいい。機械は、わたしが決めたことを、忘れずにいてくれればいいの」

七 見に行くのと、探しに行くのは違う

7月の終わりに、もう一度、常盤製作所に寄った。梅雨が明けて、工業団地のケヤキは濃く茂っていた。

事務所に入ると、壁の画面に一覧が出ていた。仕掛かり中は52件。色がついているのは5件だけだ。3日以上動いていないものが、19件から5件になっていた。

「残ってる5件は、本当に材料が来てないやつです」瀬戸さんが横から言った。

「折り返しは、どうなりましたか」

瀬戸さんは、受話器を持ち上げるしぐさをする。

「その場で答えられるようになりました。まだ確認しないと分からないのは、1日に2件くらいです。……即答できるって、こんなに楽なんですね」

入江さんが工場を歩いた回数も、数えてもらっていた。23回が、6回になっていた。間に合わせるために出した車は、7月は1回。前の年の7月は、4回だった。

北島さんは、応接室でその数字を見ていた。

「上田さん。うちは、何を入れ替えたことになるんですか」

「何も入れ替えていません。生産管理は20年前のものがそのまま動いていますし、注文の紙も、入江さんの机にそのまま積んであります」

「足したのは」

「置き場の柱に、ボタンを4つです。あとは、朝に貼る紙の右上に、コードを1つ刷るようにしました」

「ボタン、4つ」

北島さんは、その言葉を口の中で繰り返した。

「わたし、システムを全部入れ替えないと駄目なんだと思ってました。10年、そう思ってました。見積もりを取ったこともあるんです。読んでも、何が良くなるのかが分からなくて、やめました。……入れ替えなくて、よかったんですね」

「入れ替えていたら、たぶん、押されなかったと思います」

夕方、帰る前に、工場の裏の置き場に寄った。入江さんが、棚に並んだ部品を一つずつ手に取っていた。

「入江さん。歩く回数、減りましたね。でも、まだ歩いてらっしゃいますよね」

「歩くよ」

入江さんは、手に持った部品を目の高さに上げた。

「見に行くのは、やめないよ」

「画面に出ているのに、ですか」

「画面には、どこにあるかしか出てないでしょう」

入江さんは、部品の縁を指の腹でなぞった。そして、その手を止めた。

「ほら。バリが残ってる。触らないと分からないことがあるの」

入江さんは、その部品を別の箱に移した。次の人が手を切るから、と言う。

「あんたが減らしたのはね」入江さんは、箱を棚に戻しながら言った。「探しに行くほうだよ。見に行くのと、探しに行くのは、違うから」

事務所に戻ると、萩野くんが残っていた。6時を過ぎている。パソコンに向かって数字を打ち込んでいる。手元に、鉛筆で書かれた紙の束があった。

「何を打ってるんですか」

「検査成績書です」

検査の3人が測って紙に書いたものを、Excelに打ち直し、取引先ごとの書式に貼り替えてPDFにする。書式は7種類あるという。

「1枚に、どれくらいかかりますか」

「20分くらいですかね。慣れたので」

萩野くんは、そこで初めて顔を上げた。

「モノは、できてるんですけどね。これができないと、出せないので」

窓の外を見ると、トラックが1台、置き場の前で待っていた。運転手が、荷台のシートを畳んでいる。

「あれ、待ってるんですか」

「待ってます」萩野くんは言った。「6時半の便です。今日は、間に合うと思います」

残ったもの。 工場の中で何がどこにあるかは、誰でも見られるようになった。だが、その先で、モノは紙を待って止まっている。作り終わって置き場に並んでいるのに、検査成績書が上がるまで出荷できないものが、いつも何件かある。

北島さんが、車のところまで送ってくれた。

「上田さん。入江が辞めるまで、あと1年8か月です。あの人の中にあるもの、全部は出せないと思うんですよ」

北島さんは、工場の建屋を見上げた。

「でも、どこから出せばいいのかは、少し分かった気がします」

車を出したのは、7時前だった。バックミラーに、常盤製作所の窓が映る。明かりがついているのは、事務所の1つだけだった。

6時半の便には、間に合ったらしい。置き場の前に、トラックはもういなかった。

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