この話について
会社:ホテル汐風/客室82室/予約の72%が予約サイト経由/手数料は10〜15%
困っていたこと
- 1年半で現場は軽くなり、誰も辞めなくなった。それでも専務には、ひとつ残った問いがあった——この宿は、自分で価格を決められているのか
- 予約の72%が予約サイト経由で、そこに支払う手数料は年間で2,300万円。大浴場のボイラー更新費と、ほぼ同じ金額だった
- 自社サイトからの予約は全体の6%
- サイトはあるが、10年前に作ったまま、宿泊料金すら載っていなかった
一 残っていた問い
初夏の汐風は、1年前と同じように、生ぬるい潮の匂いがしていた。
応接室で、原康孝さんは1枚の紙を置いた。手書きだった。
去年の予約の内訳が、経路別に書かれている。
- 予約サイト4社:72%
- 電話:13%
- 旅行代理店:9%
- 自社サイト:6%
「これ、ご自分で集計されたんですか」
「そうです。前に作っていただいた予約の一覧で、どの経路から来たかが分かるようになったので」
1年半前、この人は「何をお願いすればいいのか分からない」と言っていた。いまは、自分で数字を作って持ってきている。
「上田さん。前回お聞きしたことなんですが」
「はい」
「うちが自分で決められることは、どこまでですか」
原さんは、紙の72%のところを指で押さえた。
「7割のお客様は、予約サイトさんが連れてきてくださる。ありがたいです。それは本当です。……でも、値段を決めているのは、うちなんでしょうか」
二 2,300万円
2日目、数字を出すのに、半日もかからなかった。
去年、汐風が予約サイト4社に支払った手数料の合計は、2,300万円だった。
これは経費として毎月きちんと計上されている。誰も隠していない。会計上は「販売手数料」という1行だ。
「専務、この金額、意識されていましたか」
「……月ごとには見ていました。でも、年間で並べたのは初めてです」
内訳も出した。4社ごとに、年間いくら払っているか。いちばん多い社が900万円、いちばん少ない社が230万円。合計で2,300万円になる。
紙1枚にまとめるのに、かかったのは2時間だった。会計ソフトから販売手数料の明細を落として、支払先ごとに足すだけだ。
誰にでもできる作業を、誰もやっていなかった。
原さんは、しばらく紙を見ていた。
「ボイラーの入れ替えが、2,400万でした」
わたしは何も言わなかった。
「あれで半年、動けなかったんです。信用金庫さんに何度も足を運んで、数字が古いと言われて、また帰ってきて。……それとほとんど同じ金額を、毎年、当たり前のように払っていたんですね」
誤解のないように書いておくと、これは予約サイトが悪いという話ではない。 汐風の稼働は、4社の集客があって成り立っている。手数料はその対価だ。専務もそれは分かっていた。
「切りたいわけじゃないんです」原さんは念を押すように言った。「あの人たちがいなかったら、うちは冬を越せません」
問題は、比率だった。
7割を一つの経路に預けていると、その経路のルールが変わったときに、宿の側に打てる手がない。掲載順位も、割引の企画も、決めるのは向こうだ。去年、ある社の手数料率が1パーセント上がったとき、汐風にできたのは「はい」と答えることだけだった。
「せめて、2割か3割は、自分たちで連れてこられる状態にしたいんです」原さんは言った。
三 10年前のサイト
3日目、自社サイトを開いて、わたしは黙った。
10年前に作ったまま、ほとんど更新されていなかった。
スマートフォンで開くと、文字が小さい。指で広げないと読めない。横にはみ出したメニューが、画面の外に切れている。トップの写真は、いまより木が低い時代の外観だった。
「これ、専務、スマホで見たことありますか」
「……ないです」原さんは、自分の携帯を出して開いた。そして、黙った。
「予約サイトさんのほうは、毎日見てるんですけどね」
そして、致命的なことが一つあった。
宿泊料金が、どこにも載っていない。
「これ、なぜですか」
「予約サイトさんと価格が違うと、怒られるんじゃないかと思って」原さんが言った。「あと、正直、載せ方が分からなくて」
料金が載っていないサイトで、人は予約しない。6%という数字は、当然の結果だった。
さらに調べると、もっと分かりやすい問題が見つかった。
自社サイトに載っている情報と、予約サイトに載っている情報が、まったく違っていた。
- 自社サイト:客室の写真が4枚、10年前の撮影
- 予約サイト:客室の写真が28枚、去年の撮影
- 自社サイト:送迎の記載なし
- 予約サイト:送迎の時刻表を掲載
- 自社サイト:露天風呂の改修について記載なし
- 予約サイト:改修後の写真を6枚掲載
「なぜ、こんなに差が」
「予約サイトさんは、担当の方が『こうしたほうが売れます』って言ってくださるんです」律子さんが答えた。「言われたとおりに直してます。……うちのサイトは、誰も何も言ってくれないので」
この宿は、自社の一番いい情報を、他社の棚にだけ並べていた。
四 作らない、という提案
4日目、わたしは提案を出した。
「サイトのリニューアルは、しません」
原さんが顔を上げた。
「え、しないんですか」
「制作会社に頼めば、200万から300万かかります。それをやる前に、いま持っている材料を並べ替えるだけで、どこまで行けるかを見たいです」
やることは三つに絞った。
一つ目。予約サイトに載せている情報を、自社サイトに移す。
写真28枚。部屋タイプごとの説明。送迎の時刻表。露天風呂の改修後の写真。そして、料金。
「価格は、予約サイトと同じにしてください」わたしは言った。「安くしなくていいです。同じでいいんです。同じ価格なら、直接取れたぶんの手数料が、まるごと宿に残ります」
「同じでいいんですか」
「はい。むしろ、下げないでください」
わたしは紙に、2本の線を書いた。
「仮に1割引きにすると、直接予約が増えても、1件あたりに残る額は手数料の削減分とほとんど変わりません。そのうえ、予約サイトさんとの関係が壊れます。あちらには『他社より安くしない』という取り決めがあることが多いので」
「じゃあ、うちが得するのは」
「同じ価格で、直接取れたときだけです。だから、下げないことが施策なんです」
写真の移し替えは、律子さんと二人で3日かかった。
予約サイトに載っている28枚は、去年カメラマンに撮ってもらったものだ。データは宿の中に残っていた。フォルダごと自社サイトに移して、部屋タイプごとに並べ直す。
作業しながら、律子さんが何度か手を止めた。
「この写真、いいですよね」
夕方の海側の部屋だった。窓の外がオレンジ色になっている。
「予約サイトさんに載せたときに、担当の方が『これがいちばん売れます』って言ってくださって。実際そうでした」
「自社サイトには」
「載せてませんでした。……なんでなんでしょうね」
理由は簡単だった。予約サイトには「載せてください」と言ってくれる人がいて、自社サイトには誰もいなかった。 それだけだ。
二つ目。1年前に書き直した「四つの答え」を、検索から入れる形に置き直す。
チェックイン時間・駐車場・送迎・Wi-Fiの四つを、あのとき予約完了メールと自社サイトに書いた。あれで夕方の電話は減った。
だが、その四つは予約する前の人も検索している。
「『汐風 送迎』とか『温泉 駐車場 無料』みたいに調べる人がいます。そのときに、うちのサイトが出るようにします」
やったのは、ページの見出しと本文を、実際に検索されている言葉に合わせて書き直すことだけだった。新しいページは二つだけ作った。「送迎バスのご案内」と「駐車場のご案内」。
どの言葉で探されているかを集めて、いまのページの文章と1つずつ突き合わせる。この作業は、AIにやらせた。人の手でやると1ページに半日かかる。汐風のサイトは18ページあった。
出てきたのは、こういうずれだった。
宿は「無料送迎あり」と書き、客は「駅から 送り迎え」と打ち込んでいた。宿は「駐車場完備」と書き、客は「駐車場 何台」と打ち込んでいた。宿は「露天風呂」と書き、客は「貸切 家族 風呂」と打ち込んでいた。
「うち、ずっと違う言葉で喋ってたんですね」律子さんが言った。
書き直したのは律子さんだ。AIが出したのは、どの言葉がずれているかまでで、そこから先の文は、宿の言葉でなければ意味がなかった。
18ページを、律子さんの隣で一気に回した。1ページぶんのずれが出るまで、20秒ほどしかかからない。律子さんが「ここは、こう言い換えます」と喋り、わたしがその場で書き入れて、次のページを出す。半日で、18ページが終わった。
「これ、業者さんにお願いすると、どのくらいかかるんですか」
「見積もりを取るところから始まって、たぶん1か月です」
「……いま、半日で終わりましたよね」
「終わりました。ただ、中身を決めたのは律子さんです。わたしがやったのは、めくる速さを上げたことだけです」
三つ目。常連客に、手紙を出す。
これは、律子さんの案だった。
「この宿、2回以上来てくださってる方が、けっこういらっしゃるんです。その方たち、うちに直接電話くださるんですよ。予約サイトを通さずに」
「何人いますか」
「……分かりません。台帳がないので」
その台帳は、律子さんの頭の中にあった。1年前、夕方の電話を数えていたときと同じだ。
そこで、去年の冬に作った予約の一覧を使った。過去3年の宿泊記録から、2回以上泊まった客を抽出する。840名いた。
「そんなに」律子さんが目を見開いた。「私、200人くらいだと思ってました」
覚えている人が200人で、実際は840人。記憶に残っているのは、記憶に残る人だけだ。
五 名前のある手紙
手紙の文面で、一度もめた。
わたしはAIに下書きを書かせた。律子さんは、それを全部書き直した。
AIが書いてきた手紙は、こう始まっていた。
「拝啓 平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。晩秋の候、皆様におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます——」
律子さんは、最初の3行を指でなぞって、それから顔を上げた。
「これ、うちのお客様に出したこと、ないです」
「まずいですか」
「まずくはないんです。ちゃんとしてます」律子さんは言葉を選んでいた。「ただ、川口様がこれを読んで、うちからだって分かるかなと思って」
わたしは、AIにもう一度書かせた。「かしこまった挨拶は入れないでください」「季節の話は、海のことだけにしてください」。3回書き直させて、3回とも律子さんは首を振った。
4回目に、律子さんはペンを取った。
「これ、ホテルからのお知らせになってます」
「違うんですか」
「違います。私からのお手紙にします」
律子さんは、宿泊部長の名前で、こう書いた。海の色が変わる季節になったこと。今年の露天風呂の改修が終わったこと。お電話をいただければ、部屋の希望を聞いてから決めること。
そして最後に、電話番号を大きく書いた。
「ウェブサイトのアドレスは、載せないんですか」わたしが聞くと、律子さんは首を振った。
「うちのお客様、60代以上が多いんです。電話のほうが早いです」
「割引は、入れなくていいですか」
「入れません」律子さんは即答した。「割引で来ていただく方じゃないので。それに、割引の紙は捨てられます。手紙は、たぶん少し置いてもらえます」
年2回、春と秋。1回840通なので、年に1,680通。切手代だけで18万円を超える。印刷と封筒を足して、年間25万円ほどになった。
この施策には、システムは一切関わっていない。 下書きはAIが書いた。だが、実際に届いた手紙に、AIの書いた文は1行も残らなかった。
最初の840通が届いた週、宿の電話が鳴った。
「上田さん、これ、すごいことになってます」
律子さんから連絡があったのは、発送の3日後だった。手紙を受け取った人からの電話が、その週だけで40件を超えたという。
そのうち予約になったのは11件。だが律子さんが驚いていたのは、そこではなかった。
「予約じゃない電話が、たくさんかかってくるんです」
「なんの電話ですか」
「……お元気ですかって」律子さんは笑っていた。「あと、うちの旦那が去年亡くなりまして、って教えてくださった方もいて。それで、しばらくお話しして」
その通話は、1件の予約にもならない。 だが律子さんは、その電話のことを1年後もわたしに話していた。
六 「上田さんがいなくなったら」
3週目、原さんが、それまで一度も聞かなかったことを聞いた。
「上田さん。これ、上田さんがいなくなったら、また10年前のサイトに戻るんじゃないですか」
わたしは、すぐには答えられなかった。
原さんの言うとおりだった。今回やったことは、これまでの4回と性質が違う。突き合わせの道具も、動画も、予約の赤い一覧も、作ったら動き続ける。だが、サイトの文章と手紙は、放っておけば必ず古くなる。
写真は季節が変われば古くなる。料金は改定される。送迎の時刻は変わる。手紙は、出さなければ出ないままだ。
「専務のおっしゃるとおりです」わたしは正直に言った。「これは、動かし続けないと死にます」
「じゃあ、どうすれば」
誰がやるかを決める必要があった。
わたしは三つに分けて考えた。
写真と料金と施設の情報。これは予約サイトを更新するときに、必ず同じ内容を自社サイトにも入れる。予約サイト側は律子さんが担当している。同じ作業のついでにするのがいちばん死ににくい。
手紙は、年に2回。律子さんが書く。春と秋の、決まった週に。
そして、検索の言葉に合わせてページを直す作業。これがいちばん難しかった。誰も経験がない。
「わたし、やります」
久保さんが言った。
「3か月に一度、うちが見ます。どの言葉で人が来ているかを見て、律子さんに『この言い方のほうが探されています』と伝えます。文章は律子さんが書いてください。わたしが書いたら、汐風の文章じゃなくなるので」
律子さんが、久保さんを見た。
「なつみちゃん、それ、仕事として頼めるの」
「頼んでください」久保さんは言った。「そのほうが、続きます。ただでやってもらってることは、忙しくなったら止まりますから」
半日で済むようにしておく必要があった。久保さんが18ページを毎回ゼロから読み直すのでは、3回目で止まる。
そこで、律子さんの隣で回したあの作業を、そのまま置いていくことにした。3か月ぶんの検索語を集めて、いまのページの文章と一つずつ突き合わせるところまでは、AIが勝手に済ませておく。久保さんが開くと、「ずれている順」に並んだ10行が最初から出ている。久保さんの半日は、その10行を読んで、律子さんに渡す三つを選ぶことに使われる。
「これ、わたしが探すんじゃないんですね」久保さんが言った。
「探すのは向こうにやらせてください。久保さんにしかできないのは、どれが汐風にとって大事かを選ぶほうです」
3か月に一度、半日。回数と範囲を決めて、契約書に書いた。
原さんは、その場で手帳に、次の見直しの日付を書き込んだ。
七 10か月
10か月後の数字は、こうなった。
- 検索から自社サイトに来た人:月380 → 月1,240
- 自社サイト経由の予約:6% → 14%
- 電話予約:13% → 16%(手紙の効果)
- 予約サイト経由:72% → 63%
- 手数料の支払い:年間で約310万円の減少
やったのは、サイトの手直しと、年2回の手紙と、久保さんの3か月に一度の見直し。それだけだ。
そして、律子さんがいちばん喜んでいたのは、この数字だった。
手紙を出した層の再訪率が、18%上がった。
「上田さん。手紙を出したら、電話がかかってくるんです」律子さんは言った。「『律子さん、元気ですか』って。……そういうの、予約サイトさんからは来ないので」
八 「隣の県の宿にも渡せるか」
契約の最終週、帰る前に、原さんに聞いておきたいことがあった。
汐風で書きためた記録をもう一度読み返してから、わたしは切り出した。
「専務。この宿でやったことは、隣の県の宿にも渡せますか」
原さんは、意外そうな顔をした。
「渡す、というのは」
「同じことで困っている宿が、この県だけで何十軒もあります。全国なら何千軒です。そこにうちの人間を一人ずつ派遣するのは、正直、無理なんです。人が足りません」
わたしは続けた。
「だから、やった会社が話すのがいちばん早いんです。業者が説明するより、同業の経営者が『うちはこうした』と言うほうが、100倍届きます」
原さんは、しばらく黙っていた。
「……私、去年、旅館組合の集まりで、何も言えなかったんです」
「何をですか」
「みんな『人が採れない』『どうにもならない』って言うんですよ。私も去年まで同じことを言ってました。でも、いまは少し違うことが言える気がします。うちは、人を増やさずに、辞めさせずに、ここまで来たので」
わたしはうなずいた。
「それだけで十分です。答えを持っていく必要はありません。同じ景色を見ていた人が、少し先にいるというだけで、動く人がいます」
九 1年半
帰りのバス停まで、4人で歩いた。
原さん。律子さん。そして久保なつみさん——1年半前、この宿のフロントにいて、いまはFDEとして隣に立っている人だ。
「上田さん」原さんが言った。「最初に来ていただいたとき、私、何をお願いすればいいのか分からないって言いましたよね」
「言いました」
「あれ、恥ずかしかったんですよ。45にもなって、自分の会社のことなのに」
「いまは、どうですか」
原さんは、少し考えてから答えた。
「あれでよかったと思っています。あのとき知ったふりをして『AIで予約を自動化してほしい』とか言ってたら、たぶん全然違うものが出来上がってました」
この1年半で、汐風から辞めた人はいない。
金本さんは、月末に休むようになった。長嶋さんは、教える人から決める人になった。坂井さんは、夜中に起きて予約を確認しなくなった。律子さんは、常連客からの電話を1回で取れるようになった。
そして専務は、昨日の数字を見て、自分で価格を決めるようになった。
人は、一人も増えていない。
「上田さん、次はいつ来られますか」律子さんが聞いた。
「呼ばれたら来ます。でも、しばらくは呼ばなくていいと思います」
「冷たいですね」
「そうでもないです」久保さんが横から言った。「呼ばなくてよくなるように作ってるので」
バスが来た。
海は、1年半前と同じ色をしていた。違うのは、この宿が、その海で何をしているかを自分で説明できるようになったことだった。
