【#5】「昨日、いくら儲かったんですか」に、誰も答えられなかった ─ あるホテルの数字

ホテルの朝礼。専務が一枚の紙のグラフを掲げて話し、清掃チーフやフロントのスタッフが聞いている場面
目次

この話について

会社:ホテル汐風/客室82室/専務が実質の経営者。先代の社長は、宿の数字を全部頭に入れていた人だった

困っていたこと

  • 昨日の売上も、稼働率も、客室単価も、その日のうちには分からない
  • 数字は宿泊システムの中にあるが、帳票を印刷しないと見えない。誰も印刷しないので、誰も見ていなかった
  • 月の数字が翌月7日に出るようになっても、それは「先月の話」。日々の判断は、すべて専務の勘で決まっていた

一 答えられなかった質問

一年ぶりの春だった。

ロビーの窓から見える海が、去年ここに初めて来たときと同じ色をしている。あれから、経理室の月末を軽くし、夕方の電話を減らし、客室清掃の教え方を六本の動画にし、予約の転記に赤を出した。

四回目の依頼で、専務の原康孝さんが言ったのは、こうだった。

昨日、うちはいくら儲かったんですか

「……分かりません」

「ですよね。私も分からないんです」

原さんは笑ったが、目は笑っていなかった。

「先月、常連のお客様が団体で入ってくださって、フロントも調理場もみんな『今月は良かった』って言ってたんです。実際、良かったんだと思います。でも、いくら良かったのかを、誰も言えない

「その月の数字は、翌月七日に出ていますよね」

「出ています。助かってます。でもあれ、先月の話なんですよ」

原さんは、ロビーの椅子に座り直した。

「今週末、まだ空いてる部屋を、いくらで出すか。平日を下げるか。来月の連休に人を厚くするか。……そういうのを、全部、私の勘で決めてるんです」

「勘で決めて、外れたことはありますか」

「分からないんですよ、それも」原さんは苦笑した。「外れたかどうかが分かるのが、一か月後なので。そのころには、次の判断をしています」

原さんは、去年の秋の話をした。

「三連休の前に、まだ二十室ほど空いてたんです。焦って、料金を下げました。そうしたら、たしかに埋まったんですよ。満室になりました」

「よかったんじゃないですか」

「そう思ってました。でも、あとで気づいたんです。あの連休、周りの宿も満室だったんですよ。 下げなくても埋まってたかもしれない。下げた分だけ、丸ごと損した可能性がある」

「いくらぐらいですか」

「分からないんです。それも」

そして、こう続けた。

「先代は、頭に入ってたんですよ。何十年ぶんの感覚が。父が『今週は下げるな』と言ったら、だいたい合ってました。私にはそれがない。継いで三年目です。勘を作る前に、社長がいなくなったので


二 数字は、あった

二日目の午前中で、分かったことがある。

数字は、なかったのではない。誰も見ていなかっただけだ。

汐風の宿泊システムには、日次の帳票を出す機能があった。前日の売上、販売室数、稼働率、客室単価。押せば出る。十二年前のシステムだが、そのくらいはできる。

試しに、その場で出してもらった。

宿泊システムのメニューの、下から三番目。「日次帳票」という項目があって、日付を入れて実行を押すと、五秒ほどで画面が切り替わり、細かい数字がびっしり並んだ表が現れた。

昨日の売上が、そこにあった。

四十秒で出た。誰も見ていなかっただけで、数字は毎日、そこで生成され続けていた。

「これ、毎日出してますか」

フロント主任の坂井さんは首を振った。

「昔は出してました。夜勤が朝に印刷して、専務の机に置いてたんです」

「いまは」

「……いつからやらなくなったんでしょうね」

坂井さんは、しばらく考えてから言った。

「三年前くらいだと思います。夜勤が二人から一人になったころです」

理由を追うと、はっきりしていた。

一人になった夜勤が、朝の引き継ぎで手一杯になり、印刷が後回しになった。数日抜けた。誰も何も言わなかった。そのうち、印刷されない日のほうが多くなり、やがて完全に止まった。

紙は、机の上で三日たてば見なくなる。見なくなれば、印刷する意味もなくなる。

「専務、これ止まったこと、ご存じでした?」

「……気づいてはいました」原さんは正直に言った。「でも、忙しいのを知ってるので、やれとは言えなくて」

一年前、経理室で金本さんを見ていたときと、同じ構図だった。 誰かが限界まで頑張っているのを知っていると、他の人は何も言えなくなる。そして、止まったものは止まったままになる。

止まった仕組みは、たいてい「面倒だから」で止まっていない。「誰も読まないから」で止まっている。


三 三つに絞る

三日目、わたしは最初にやることを決めた。

数字を増やさない。

宿泊システムの日次帳票には、二十以上の項目が並んでいる。売上、室料、料飲、その他収入、販売室数、稼働率、客室単価、一人あたり単価、キャンセル数、ノーショー数、団体人数、館内消費……。

その紙を、そのまま原さんの前に置いてみた。

「これ、全部出したら見ますか」

原さんはしばらく眺めて、それから正直に言った。

「……見ないでしょうね、たぶん」

「はい。なので三つにします」

選んだのは、この三つだ。

  1. 昨日の売上(いくら入ったか)
  2. 稼働率(何室売れたか)
  3. 客室単価(いくらで売れたか)

「二番と三番は、掛け算すると一番になります。だから、売上が落ちたときに、数が足りないのか、値段が安すぎたのかが、すぐ分かります」

原さんが、身を乗り出した。

「それ、いつも分からなかったところです。悪い月があっても、原因が言えなくて」

「逆に言うと、この三つで分からないことは、この三つを見ていても分かりません。そのときは、別の数字を足します。いまは足しません」

原さんは、しばらく三つの項目を見ていた。それから、遠慮がちに言った。

「あの……レストランの売上も、入れられますか」

「入れられます。でも、今回は入れません」

「なぜですか」

「レストランの数字を見て、専務は明日、何を変えますか」

原さんは黙った。

「宿泊のほうは、変えられるんです。今週末の料金を上げるか下げるか、明日決められる。でもレストランは、メニューも仕入れも料理長の領分ですよね」

「……そうですね」

見て、明日動かせる数字だけを出します。 動かせない数字は、いまは邪魔になります。料理長と一緒に見る仕組みを作るなら、それは別の回にしましょう」

原さんは、少し不服そうな顔をしてから、うなずいた。

「前だったら、全部入れてくださいって言ってたと思います」

グラフも一本だけにした。過去三十日の売上の折れ線に、去年の同じ日を薄い線で重ねる。それだけだ。

久保さんが横で言った。

「棒グラフと円グラフ、いらないですか」

「いりません。見る数が増えると、見なくなります

久保さんは、少し笑った。

「フロントにいたとき、本部から来る資料が毎月十二枚あったんです。誰も読んでませんでした」


四 「印刷をやめましょう」

作り方は、これまでと同じにした。

新しいシステムは入れない。 一年前に経理室で作った突き合わせの道具に、機能を一つ足すだけだ。宿泊システムから日次帳票をCSVで落として、そこから三つの数字を拾い、前年と並べて出す。

問題は、誰がCSVを落とすかだった。

夜勤が朝に印刷していた作業が、三年前に止まっている。同じことを、同じ人に、もう一度お願いすることになる。

「それ、また止まりますよ」久保さんが言った。

「そうですね」

「夜勤の人、朝いちばんは引き継ぎで手が離せないんです。わたしも入ってたので分かります」

一度止まった仕組みを、もう一度動かす。

これは、新しく始めるより難しい。前にやめた理由が、まだそこに残っているからだ。

汐風の場合、やめた理由は人が減ったことだった。夜勤は三年前に二人から一人になり、いまも一人のままだ。人が減ったままでも回る形にしないと、二度目も同じところで止まる。

四日目、わたしたちは夜勤の担当者に直接会いに行った。深夜勤務の田島さん、四十七歳。汐風に八年いる。深夜のフロントは一人で、二十三時から翌朝九時まで、この人が宿の全部を見ている。

「印刷はね、正直めんどくさかったんですよ」田島さんは率直だった。「あれ、A3で三枚出るんです。で、誰も読まないんです。読まれない紙を毎朝作るの、けっこうこたえます

「三枚を、やめましょう」わたしは言った。「CSVを一回落として、決まった場所に置くだけです。二十秒で終わります。紙は出しません」

「それだけ?」

深夜のフロントを、一度だけ見せてもらった。

午前二時。ロビーの照明は落ちていて、カウンターの上のスタンドだけがついている。館内は静かで、たまに製氷機の音がする。田島さんは、その中で一人、翌日の予約表を確認していた。

「怖くないですか」

「慣れました。ただ、何かあったときは一人なので」

団体の到着が遅れる連絡、酔って部屋を間違える客、急病。夜の宿は、昼とは別の仕事でできている。

その人に、朝いちばんの負担を足そうとしている、ということを、わたしは忘れないようにした。

「それだけです。あと、田島さんも見られるようにします」

田島さんが、意外そうな顔をした。

「わたしが見て、意味あります?」

「深夜に、翌日の予約が何室入っているかは、田島さんがいちばん早く知る立場です。それが数字とつながっていたほうが、たぶん面白いです」

田島さんは、少し黙ってから言った。

「……前に印刷してたころ、たまに見てたんですよ。中身」

「どうでした」

「よく分からなかったです。項目が多くて」

三つに絞ってよかった、と思った。


五 朝礼の三分

二週目から運用が始まった。

導入して一週間、変わったのは専務ではなかった。

朝礼だった。

原さんは、朝礼で三つの数字を読み上げるようにした。昨日の売上、稼働率、単価。それだけを、三分。

最初の数日、スタッフの反応は薄かった。数字を聞かされても、自分と関係があると思えなかったのだと思う。

変わったのは、四日目だった。

原さんが「昨日の稼働は七十二パーセントでした」と言ったとき、清掃チーフの村田さんが口を開いた。

「じゃあ、今日は五十九室ね」

朝礼が、少しざわついた。

村田さんは、稼働率を聞いた瞬間に、その日の清掃の部屋数を計算していた。二十年やっている人には、それが体でつながっている。

「村田さん、それ計算したんですか」原さんが聞いた。

「計算っていうか、そうでしょ。八十二の七割だもの」

その日から、朝礼の三分の意味が変わった。

数字は、経営者だけが見るものではなくなった。フロントは「今日は満室に近いから、チェックインの列を分けよう」と言い、清掃は「今日は多いから、応援を一人回す」と言うようになった。

見ている人が、専務ひとりから十一人になった。

調理場からも反応があった。

朝礼の三分を聞いた料理長が、その週のうちに「前の日の稼働が分かるなら、朝の仕込みの量を決めやすい」と言い出した。それまでは、前日の夜にフロントに電話して人数を聞いていたのだという。

「聞くの、気を使うんですよ」料理長は言った。「向こうも忙しいので。だから、だいたいで作ってました」

だいたいで作れば、余る日と足りない日が出る。余った分は捨てる。

その話は、原さんも知らなかった。

面白かったのは、質問が出るようになったことだ。

「単価って、朝食は入ってるんですか」

「稼働率って、修理で止めてる部屋も入ってます?」

原さんは、その場で答えられないものは「調べます」と言って、翌日に答えた。答えるために、原さん自身が数字の中身を覚えていった。

説明できるようになるのがいちばん早い勉強だ、というのは、たぶんどの現場でも同じだと思う。


六 四・二パーセント

一か月たったころ、原さんが自分で数字を持ってきた。

「上田さん。これ、見てください」

前年と重ねた折れ線の、平日の部分を指していた。

「去年より、稼働は上がってるんです。でも売上が、ほとんど変わってない」

「単価ですね」

「単価です。平日、安売りしすぎてました

これは、わたしが指摘したことではない。

原さんが、毎朝三つの数字を一か月見続けて、自分で気づいたことだった。

そこから、原さんは平日の料金を見直した。いきなり全部は動かさない。火曜と水曜の、海側ではない部屋タイプだけ、千円上げた。そして、決めごとを一つ置いた。

二週間やって稼働が三ポイント以上落ちたら、元に戻す。

「戻す条件を先に決めておくと、怖くないんですよ」原さんは言った。「これ、去年の私にはできなかったです。上げたあと、どうなったかが月末まで分からなかったので」

最初の一週間、原さんは毎朝、画面を開くのが怖かったという。

「上げた翌日に、稼働が六十二パーセントって出たんですよ。前の週が六十八だったので、やっぱりだめかと思って」

「戻しましたか」

「戻しませんでした。二週間って決めたので」

三日後、稼働は七十を超えた。曜日と天気で毎日揺れることが、見ているうちに分かってきたのだという。

「一日で判断しちゃだめなんですね。あれ、去年までの私だったら、二日で戻してました」

稼働は、ほとんど落ちなかった。二週間で〇・八ポイント。誤差の範囲だった。

原さんは範囲を広げた。木曜を足し、月曜を足し、部屋タイプを一つ増やした。落ちたところで一度だけ戻した。

三か月後、平日の客室単価は四・二パーセント改善していた。全体でならすと、二パーセント弱になる。

金額にすると、月におよそ五十万円。年間で六百万円だ。この回の追加費用は、ゼロだった。

だが原さんが嬉しそうに話したのは、そこではなかった。

「上田さん。私、初めて自分で決めたんです。 数字を見て、仮説を立てて、試して、確かめた。父の勘の真似じゃなくて」

そして、こう言った。

「継ぐって、何を継ぐことなんでしょうねって、去年お聞きしましたよね」

「はい」

「父の頭の中は、継げなかったです。でも、父がやっていた『数字を見て決める』というやり方のほうは、いま作れてる気がします」


七 金曜の夕方の会話

最終日、わたしはフロントの裏で、こんな会話を聞いた。

坂井さんと、若いスタッフが、画面を見ながら話している。

「今週末、あと何室売れば去年超える?」

「えっと……六室です」

「じゃあ、電話きたら海側から出そう」

一年前、この宿の誰も、こういう会話をしていなかった。

帰りがけ、夜勤に入る田島さんとすれ違った。

「上田さん、あれ、毎朝見てますよ」

「どうですか」

「昨日より上がってると、なんかいいですね」田島さんは少し笑った。「深夜って、誰とも喋らないので。数字が動いてるのを見ると、宿が生きてる感じがします」

今回、画面の作り込みは久保さんが一人でやった。わたしは最初の設計だけ見て、あとは口を出さなかった。

出来上がったものを見て、一つだけ気づいたことがある。

数字の上に、その日の天気が小さく出るようになっていた。わたしは指示していない。

「なんで天気を入れたんですか」

「フロントにいたとき、雨の日は当日予約が増えるんです」久保さんは言った。「みんな知ってるんですけど、誰も数えてないので。並べておけば、そのうち誰か気づくかなと思って」

現場にいた人にしか置けない一列だ、と思った。

残ったもの。 数字は見えるようになったが、稼いだ売上のうち、予約サイトへの手数料として出ていく分は、去年と同じ率のままだ。稼働を埋めているのは、いまも予約サイト経由の客が七割を占めている。

「上田さん、最後に一つだけ、教えてください」

帰り際、原さんが言った。

うちが自分で決められることは、どこまでですか

わたしは、その質問を長いこと待っていた気がした。

「それは、次の話にしましょう」


この話の結果

やったこと

  • 新しい経営システムは入れていない
  • #1で作った突き合わせの道具に、宿泊システムの日次帳票を毎朝1枚読ませた
  • 出すのは3つの数字だけ。売上・稼働率・客室単価。グラフは折れ線が1本
  • 毎朝の朝礼で、3分だけ読み上げるようにした

かかった期間と費用

  • 現場に入って2週間。追加費用はなし(#1の道具に機能を足しただけ)
  • 昨日の数字が分かるまで翌月7日 → 翌朝8時
  • すでに持っているシステムから、数字は毎日出ていた。足りなかったのは見る習慣のほう

ただし、本題はそこではありません

  • 見ている人が専務ひとり → 朝礼に出る11名
  • 平日の料金見直しを実施し、3か月で平日の客室単価が4.2%改善(全体では2%弱、月およそ50万円)
  • 「今週末、あと何室売れば去年を超えるか」を、フロントが自分で言えるようになった

いちばん効いたのは仕組みではなく、朝礼で3分読み上げたことでした。数字が経営者の机の上にあるうちは、経営者しか動けません。


経営者の方へ

この3つが当てはまるなら、汐風と同じことが起きています

  1. 昨日の売上を、その日のうちに言える人が社内にいない
  2. 月の数字は出ているが、それを見て何かを変えたことがない
  3. かつて誰かが出していた日報や集計が、いつのまにか止まっている

3番目が止まった理由は、たいてい「作った人が忙しくなったから」ではなく、「誰も読まなかったから」です。読まれない紙を毎朝作る仕事は、想像以上に人を消耗させます。

最初の一歩は、いま使っているシステムから、昨日の数字が出せるかを確かめることです。汐風の場合、機能は十二年前から入っていました。足りなかったのは、仕組みではなく見る習慣のほうでした。

そして、始めるときは数字を3つに絞ってください。 20項目の帳票は、誰も見ません。読み上げるのは、朝礼の3分で足ります。

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