【#6】「はい、大丈夫です」と、返事はする ─ ある建設会社の朝礼

朝の建設現場で、現場監督とベトナムから来た職人が、その日の作業手順の短い動画をスマートフォンで一緒に見ている
目次

この話について

会社:山桜建設/社員28名(うちベトナムから来た職人が4名)/山あいの地方都市/職人の平均年齢58歳

困っていたこと

  • この3年で、外国人の職人が4人入った。教えているのは、自分の現場を持ちながらの阿部くん一人
  • 指示に返ってくるのは「はい、大丈夫です」。それでも翌日、同じ手戻りが出る
  • 新規入場者教育の書類に、サインはある。読めているかを確かめた人は、一人もいない

一 「教えられるのが、阿部一人なんです」

6月の終わり、山桜建設に来た。初めてこの町に来てから、1年2か月になる。

川沿いの桜は葉が濃くなっていて、その下を子どもが自転車で走っていた。事務所の駐車場の隅に、自転車が4台、きれいに並べて停めてあった。去年はなかったものだ。

「うちの若い衆のです」古賀さんが言った。「ベトナムから来てもらってる子たちの」

社長室に通されると、古賀さんは椅子を勧めてから、自分はしばらく座らなかった。

「上田さん。今日は、数字じゃない話をさせてください」

「はい」

「うち、いま職人が14人います。平均年齢は58です」

古賀さんは、そこで座った。

「3年前に、初めて1人入れました。いまは4人です。来年、もう2人来ます」

「増やされるんですね」

「増やさないと、10年後にうちで工事ができる人がいなくなるので」

古賀さんは、机の上で手を組んだ。

「去年、上田さんに言いましたよね。人を減らす話ではないんです、うちは人が足りないので、って」

「うかがいました」

「あれ、いまも同じです。ただ」

そこで、少し言いにくそうにした。

「増やしたら、増やしたぶんだけ、教える人が要るんです。それが、うちには一人しかいない」

「阿部さんですか」

「阿部です」

阿部くんは、現場監督の4年目になっていた。28歳。5つある現場のうち2つを持ちながら、外国人の職人4人の面倒を見ている。

「篠原は現場と積算で手一杯です。ほかの監督は3人とも55を超えていて、正直、言葉のところで苦労してます。阿部は若いし、覚えるのが早いので、自然とそうなりました」

「阿部さんは、なんと」

「やります、と言います」古賀さんは首を振った。「言うんですよ、あの子は。だから困るんです」

わたしは、ノートを開いた。

「古賀さん。いま、何がいちばん怖いですか」

古賀さんは、すぐに答えなかった。窓の外を見て、それから言った。

「……事故です」

帰りぎわ、事務室の前を通ったところで、谷さんに手招きされた。冬に、200枚の出面表を月末に打ち込んでいた人だ。

「上田さん。ちょっといいですか」

谷さんは、クリアファイルを持っていた。中に、書類が3枚入っている。新規入場者教育の記録だった。現場に初めて入る人に、その現場のきまりを教えて、署名をもらう紙だ。

「これ、サインはもらってるんです」

「はい」

「でも、この紙、全部日本語なんですよ」

谷さんは、そこで声を落とした。

「読めてるかどうか、確かめたことがないんです。うち、一度も」

二 朝礼と、7分

翌日から、現場に立たせてもらった。

市の給食室の改修工事の現場だった。夏休みに入る前に配管を替えるので、7月の頭が山場になる。作業員は、山桜建設の職人が5人、協力会社が4人。そのうち2人が、ベトナムから来た職人だった。

朝7時50分、朝礼が始まる。

ラジオ体操、当日の作業の割り振り、それから危険予知の確認。全部で7分だった。

わたしは、その7分の指示を、全部書き取ってみた。

指示は、23回出ていた。そのうち、道具や材料が名前で呼ばれたのは6回だけだった。

残りは、こうだ。

  • 「そこの、あれ持ってきて」
  • 「昨日のやつ、続きから」
  • 「例のとこ、朝いちで養生しといて」
  • 「いつもの高さで」

日本人の職人には、これで通じる。20年、30年、同じ現場に立っている人たちだ。「例のとこ」で場所が分かるし、「いつもの高さ」も体で分かる。

わたしは、その中に立っていたチャン・バン・ドゥックさんを見ていた。24歳。3年目。現場では「ドゥックくん」と呼ばれている。

朝礼が終わったあと、話しかけてみた。

「ドゥックさん、いまの、分かりましたか」

「はい、大丈夫です」

はっきりした発音だった。日常の会話は、わたしよりよほど滑らかに出てくる。

「じゃあ、今日は何をしますか」

「今日は、あの……養生です」

「どこの養生ですか」

ドゥックくんは、少し止まった。それから、笑って言った。

「あとで、阿部さんに聞きます」

わたしは、その日の午前中、阿部くんについて歩いた。

阿部くんは、よく走っていた。自分の現場を見て、材料の受け入れをして、その合間に、ドゥックくんともう一人の職人のところへ行く。行くたびに、同じ姿勢になる。しゃがんで、手で示して、身振りを足して、最後に必ずこう聞く。

「分かった?」

「はい、大丈夫です」

昼に、阿部くんに聞いてみた。

「阿部さん。あの『大丈夫です』は、どのくらい大丈夫ですか」

阿部くんは、弁当の蓋を持ったまま、少し笑った。

「半分くらいですかね」

「半分」

「悪気はないんですよ。あの子たち、すごく真面目なので。分からないって言ったら、迷惑がかかると思ってるんです」

「阿部さんは、なぜそう思うんですか」

阿部くんは、少しだけ黙った。

「僕も、そうだったので」

わたしは、その一言を書き留めた。

1年前、この人は「教えてください」と言えなかった人だった。夜9時まで机に向かっている部長には、聞けないと言った人だ。

その人が、いま教える側にいる。

三 「危ないことは、体で覚えるもんだ」

3日目の夕方、事務所で篠原さんに会った。工務部長の篠原さん、60歳。この会社に38年いる。

篠原さんは、わたしが現場に立っていることを知っていた。

「上田さん。今度は、何をしに来たの」

「教え方を見に来ました」

篠原さんは、コーヒーを入れながら、こちらを見ないで言った。

「あの子たちのこと?」

「はい」

「悪い子じゃないよ。よくやってる」

「そう聞いています」

篠原さんは、カップを持って、椅子に座った。

「でもね、上田さん。危ないことは、体で覚えるもんだよ」

わたしは、黙って聞いた。

「わたしらの若いころは、怒鳴られて覚えたの。足場から落ちかけて、親方に胸ぐらつかまれて。あれがないと、体が覚えないんだよ」

「はい」

「機械で教えられるもんじゃない。命の話だから」

篠原さんは、そう言ってから、少し声を落とした。

「……まあ、いまはあんな怒り方したら、次の日から来ないけどね」

わたしは、提案をしなかった。

「篠原さん、置き換える提案はしません」わたしは言った。「その代わり、2週間だけ、数えさせてください」

「何を数えるの」

「やり直しになった作業と、危なかった場面です」

篠原さんは、少し眉を上げた。

「危なかった場面って、そんなの数えられるの」

「阿部さんに、毎日1行ずつ書いてもらいます」

「……ヒヤリハットの紙なら、うちも書いてるよ」

「拝見しました。半年で7枚でした」

篠原さんは、それについては何も言わなかった。

四 14件と、7枚

2週間後、紙を1枚持っていった。

古賀さんと篠原さんと、阿部くんに集まってもらった。

書いてあったのは、4つだけだ。

  • 2週間で、やり直しになった作業:14件
  • そのうち、指示が伝わっていなかったもの:9件
  • 半年間のヒヤリハットの記録:7枚。そのうち、言葉が関わっているもの:4枚
  • 阿部くんが、教えることに使った時間:2週間で26時間

「26時間」古賀さんが、最初にそこを見た。

「1日にすると、2時間ちょっとです」わたしは言った。「阿部さんは、その2時間を、自分の現場の時間から出しています」

阿部くんが、慌てて言った。

「いや、僕は大丈夫です」

「阿部さん。先週の木曜日、事務所を出たのは何時でしたか」

阿部くんは、答えなかった。

篠原さんが、9件のほうを指した。

「この9件。中身を教えて」

わたしは、その9件を1件ずつ読み上げた。

配管の支持金物を、指示と違う間隔で入れてしまったもの。壁の下地を、指示された位置から30センチずらして組んでしまったもの。「例のとこを養生しといて」で、養生する場所を取り違えたもの。

「これ」篠原さんが途中で止めた。「養生のやつ、誰が言ったの」

「わたしが聞いた朝礼です」

篠原さんは、腕を組んだ。

わたしは、続けた。

「やり直しの手間だけなら、金額にできます。この2週間で、材料と手間で12万円ほどです」

「12万」古賀さんが言った。

「ただ、今日いちばんお伝えしたいのは、そこではありません」

わたしは、ヒヤリハットの4枚を出した。

そのうちの1枚は、5月の記録だった。バックホウが旋回したときに、その後ろに人が立っていた。書いた人の字で、こう書いてあった。

> 声をかけたが、止まらなかった。合図が伝わっていなかったと思われる。

「これ、覚えてます」阿部くんが言った。「ミンです。来て8か月の子です」

「そのとき、なんと声をかけましたか」

「……『危ない!』って」

阿部くんは、そこで言葉を止めた。

「『危ない』って、たぶん、あの子は習ってないです」

部屋が、静かになった。

やり直しは、金額になる。ヒヤリハットは、起きてしまってからでないと金額にならない。 そして、起きたときには、それはもう金額の話ではなくなっている。

最後に、わたしはもう一つだけ伝えた。

2週間のあいだに、ドゥックくんに一度だけ、こう聞いていた。

「分からないとき、どうしていますか」

ドゥックくんは、少し考えてから、こう答えた。

「みんな、忙しいです。だから、あとで、自分で考えます」

古賀さんが、その行をしばらく見ていた。

そして、篠原さんのほうを向いた。

「篠原さん。うち、あの子たちに、分からないと言える場所を、作ってないんじゃないですか」

篠原さんは、何も言わなかった。ただ、コーヒーのカップを持ったまま、長いこと動かなかった。

五 誰も、見なかった

わたしが最初にやったことは、うまくいかなかった。

阿部くんが教えている場面を、スマートフォンで撮らせてもらった。新しく撮影の時間を作らない。いつも通りに教えて、その手元だけを横から撮る。

10本撮れた。1本は30秒から2分。配管の支持金物の間隔、壁の下地の組み方、脚立の立て方、合図の出し方、片づけの手順。

その動画に、字幕をつけた。日本語と、ベトナム語の2種類。

撮ったものをAIに渡すと、映っているとおりの手順が、箇条書きになって返ってくる。1本につき8行から12行。それを短くして、字幕にする。ベトナム語も、そのまま訳させた。

半日で10本ぶんが揃った。

わたしは、それを詰所のホワイトボードに二次元コードで貼って、阿部くんから全員に伝えてもらった。

1週間後、どのくらい見られたかを確かめた。

再生は、2回だった。

しかも、そのうち1回は阿部くん自身が確認のために開いたものだった。

わたしは現場に行って、順番に聞いて回った。

理由は、4つあった。

一つ目。電波がない。 給食室の現場は建物の奥まったところで、地下の機械室に至っては圏外だった。二次元コードにかざしても、動画が始まらない。

二つ目。休憩が45分しかない。 昼の休憩は12時から45分。飯を食って、横になる時間だ。そこでスマートフォンを出して動画を見る人は、いない。

三つ目。作業中にスマートフォンを出せない現場がある。 元請けによっては禁止されている。ドゥックくんは、それを気にしていた。

そして四つ目が、いちばん重かった。

分かっているつもりの人は、マニュアルを見ない。

ドゥックくんは、朝、指示を聞いた時点では「大丈夫」だと思っている。だから、その時点で動画を見ようとは思わない。手が止まるのは、作業の途中だ。そのときにはもう、両手がふさがっている。

ドゥックくんは、わたしに、こう言った。

「動画、ありがとうございます」

そして、少しだけ困った顔をして、こう続けた。

「でも、僕、いつ見ればいいですか」

その夜、宿に戻ってから、机の上にノートを広げた。

動画は悪くなかった。字幕も、訳も、確かめた。作ったものが使われないときは、作ったものが悪いのだと、わたしはずっと思っていた。

違った。

見る時間が、1日のどこにもなかった。

前の会社なら、これは起きなかった。社内で作った手順書は、みんなが机の前に座っている時間に読まれる。読む時間は、最初からそこにあった。

ここには、ない。朝は現場に出て、昼は45分で飯を食い、夕方は片づけて帰る。動画を見る時間を作るということは、この現場の1日に、新しい時間を1つ足すということだ。

足せない。

書いたのは、1行だった。

> すでにある時間の中に、置けないか。

翌朝、その話を阿部くんにした。

阿部くんは、しばらく考えてから、こう言った。

「上田さん。僕、教えるときって、必ず朝なんですよ」

「朝ですか」

「朝、その場でやります。作業が始まっちゃうと、もう教えられないので」

わたしは、顔を上げた。

「阿部さん。朝礼、何分ありますか」

「7分です」

「7分のうち、危険予知に使っているのは」

「……2分くらいですかね」

その日の夕方、篠原さんに話した。

朝礼の中で、その日やる作業の動画を1本だけ流す。全員で見る。個人が見る時間を作らない。

篠原さんは、腕を組んで聞いていた。それから、こう言った。

「それ、KYと同じだね」

「同じですか」

「同じだよ。KYだって、全員で立って、今日はここが危ないって声に出すでしょう。あれの、絵があるやつだ」

篠原さんは、そこで初めて、こちらを見て言った。

「それなら、分かる」

六 明日の朝の、1本

作ったものは、長いマニュアルではない。

その日にやることだけを、30秒から2分で1本。 それだけだ。

決めごとは、3つにした。

一つ目。新しく撮らない。 阿部くんが教えている場面を、その場で撮る。教えることと撮ることを、別の作業にしない。別にすると、忙しい日に撮られなくなる。

二つ目。朝礼で流す。 詰所のテレビか、阿部くんのスマートフォンで、全員で見る。作業の直前に見るので、その日の記憶に残る。

三つ目。前の日の夕方に、届いている。

三つ目は、去年の秋に作ったものが、そのまま使えた。5つの現場の「明日、誰がどこへ行くか」の1枚を、職人と協力会社のLINEに流す仕組みだ。あの1枚の下に、動画のリンクを1本足すだけでよかった。新しいアプリは、1つも入れていない。

AIにやらせたのは、そこから先だった。

撮ったものから手順を起こして、字幕にする。ここまでは前と同じだ。

新しく足したのは、2つある。

一つは、やさしい日本語に直すこと。「支持金物の離隔は900ミリ以内で」を、「金物と金物の間は、90センチより広くしない」に直す。ドゥックくんは日本語を話せる。だが、話せる日本語と、朝礼で飛んでくる日本語は、別物だった。

もう一つは、音声だ。字幕だけにしなかった。ドゥックくんは会話ができるが、漢字はほとんど読めない。ミンくんは、来日8か月でひらがなを読んでいる途中だった。読み書きが弱い人に、字幕は届かない。 ベトナム語の音声を、動画に重ねた。

そして、AIは間違えた。

3本目の動画を、ドゥックくんに見てもらったときだった。彼は途中で止めて、こう言った。

「上田さん。これ、意味が違います」

画面には、「養生」の訳が出ていた。ベトナム語に訳したものを、もう一度日本語に戻すと、こうなっていた。

> 体を休めて、健康を回復すること。

現場の養生は、仕上げた床や柱に傷がつかないよう、シートや板で覆うことだ。まるで違う。

同じことが、いくつも見つかった。

  • 「ハツる」……訳が出てこない。コンクリートを削り取ることだが、辞書にない
  • 「番線」……電話番号の一種として訳された。実際は、資材を縛る針金だ
  • 「レベルを見る」……高さを測ることだが、階層や等級のほうで訳された
  • 「逃げを取る」……逃げる、と訳された。実際は、寸法に余裕を持たせることだ

わたしは、その4つを紙に書いて、篠原さんのところへ持っていった。

篠原さんは、それを見て、少し笑った。

「機械でも、これは分からんか」

「分かりませんでした」

「そりゃそうだよ。わたしらだって、若いころは分からなかったんだから」

篠原さんは、その場で6つ足した。「面(つら)を合わせる」「散らす」「なじませる」——どれも、辞書には出てこない言葉だった。

対応表を作ることにした。

現場で出てくる言葉と、その意味と、ベトナム語。1行ずつ足していく。

足す人を、ドゥックくんにした。

「僕が、ですか」

「ドゥックさんが、いちばん分からなかった人なので」わたしは言った。「分からなかった言葉を覚えているのは、分からなかった人だけです」

ドゥックくんは、しばらく画面を見ていた。それから、こう聞いた。

「間違えたら、どうしますか」

「篠原さんが直します」

篠原さんが、横で言った。

「直すよ。書いてくれれば」

3か月で、対応表は112語になった。そのうち68語は、ドゥックくんが自分で足したものだった。

動画のほうは、いつものやり方で作った。半分しか動かないものを、毎日見せる。

最初の版は、字幕の位置が手に重なっていた。阿部くんが「これ、手が見えないです」と言って、その場で直した。次の日は、音声が早すぎた。ドゥックくんが「もう少し、ゆっくりです」と言った。

18日間で、直しは34回入った。

そのうちの1本は、篠原さん自身の手を撮ったものだった。番線を締める手つきだ。ペンチを一度返してから、ぐっと引く。阿部くんが「これ、僕もできないです」と言って、篠原さんを現場に引っ張り出して撮った。

出来上がったものを、篠原さんは黙って2回見た。それから、こう言った。

「……これ、わたしの手だね」

「篠原さんの手です」

篠原さんは、画面をもう一度巻き戻した。そして、ぶっきらぼうに言った。

「おやじの手つきと、同じだ」

わたしは、その日、もう一つだけ決めた。

新規入場者教育の紙を、動画にした。 その現場の入場ルート、資材置き場、トイレ、火気の場所、緊急時の集合場所。現場が変わるたびに、阿部くんが3分歩いて撮る。ベトナム語の音声がついたものを見てから、サインをもらう。

谷さんが、その仕組みを見て言った。

「上田さん。これ、見た記録が残るんですね」

「残ります」

「……うち、いままで、サインだけだったんですよ」

七 自転車が、6台になる

11月に、山桜建設を最後に訪ねた。

山が色づいていて、川の水が冷たそうだった。1年7か月前、初めてこの町に来たときは、桜が散っていた。

3か月ぶんの数字が出ていた。

  • 2週間あたりの、やり直しになった作業:14件 → 4件
  • ヒヤリハットの記録:3か月で0枚(半年で7枚のペースだった)
  • 阿部くんが教えることに使った時間:1日およそ2時間 → 25分
  • 動画の本数:48本。そのうち16本は、ドゥックくんが撮った

ヒヤリハットが0枚になったことについては、古賀さんが慎重だった。

「上田さん。これ、書かなくなっただけ、ということはないですか」

いい問いだった。

「その心配は、あります」わたしは答えた。「なので、阿部さんに毎日1行の記録は続けてもらってください。0が続いていることを、毎日確かめるのが仕事です」

古賀さんは、手帳にそれを書いた。

阿部くんの25分は、動画を撮る時間だった。教えることをやめたわけではない。教えたことが、次の人に渡るようになった。

「同じことを、3回教えなくてよくなりました」阿部くんは言った。「1回教えて、撮ります。2人目の子には、それを見てもらってから、僕が横につきます」

引き継ぎをした。

わたしがこの1年7か月で作ったものは、6つある。見積もりの下ごしらえ、追加工事の記録、翌日の段取り、出面表の読み取り、月曜の朝の1枚。そして、朝の1本。

それぞれについて、誰がいつ手を入れるかを決めた。

  • 見積もりの単価表:篠原さんが、年度が変わったときに見直す
  • 追加工事の線引き(7項目):篠原さんと谷さんが、年に1回
  • 段取りの日数(41工種):阿部くんが、四半期に1回
  • 出面表の書き癖:谷さんが、新しい職人が入ったときに
  • 月曜の1枚:古賀さんが、実行予算の作り方を変えたときに
  • 朝の1本と、言葉の対応表:ドゥックさん

古賀さんが、最後の行を見て、顔を上げた。

「ドゥックに、ですか」

「はい」

「あの子、3年目ですよ」

「3年目だから、です」わたしは言った。「4年目の人には、もう分からなくなっていることがあります」

ドゥックくんは、その場にいた。名前を呼ばれて、少し背筋を伸ばした。

「僕、日本語、まだ下手です」

「下手じゃないです」阿部くんが言った。「僕より、若い子に伝わってます」

残った課題も、そのまま伝えた。

どの入札に出て、いくらで札を入れるか。それは、いまも社長室で二人が決めている。市のホームページには5年ぶんの落札の結果が載っているのに、この会社はまだ、一度もそれを開いていない。そこには、手をつけられなかった。

その日の夕方、5時半に、篠原さんが帰り支度を始めた。

「篠原さん、もう帰るんですか」

「帰るよ」篠原さんは言った。「今日は見積もりがないから」

「夜9時からのやつは」

「週に1回あるかないかだね。昼に終わるようになった」

篠原さんは、鞄を持って、それから思い出したように言った。

「孫が生まれたんだよ、夏に」

「おめでとうございます」

「うん。……去年だったら、たぶん会いに行けてないと思う」

玄関まで、古賀さんが送ってくれた。

外は暗くなり始めていて、資材置き場の照明がついていた。1年7か月前、篠原さんに送られて出たときと、同じ景色だった。

「上田さん。うち、来年2人来ます」

「うかがいました」

「正直に言うと、いままでは、来るたびに身構えてたんです」古賀さんは言った。「言葉が通じるかな、教えられるかな、事故らないかな、って」

「いまは」

「いまは、来てくれるのが楽しみです」

車に乗る前に、ドゥックくんが駐車場まで走ってきた。

自転車の鍵を持ったままだった。

「上田さん」

「はい」

「来年、2人、来ます」

「聞きました」

ドゥックくんは、少し照れたように、こう言った。

「今度は、僕が教えます」

わたしは、その言葉を車の中で書き留めた。

この1年7か月、わたしがこの会社でやったことは、たぶん全部、同じ形をしている。

一人の頭の中にしかなかったものを、外に出して、置いてくる。篠原さんの単価も、谷さんの目も、阿部くんが夜まで走って伝えていたことも、全部そうだ。

教える人がいなくなっても、教えは残る。

わたしがやっているのも、たぶん、それと同じことだった。

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