【#3】「見れば分かる」が、通じない ─ あるホテルの客室清掃

ホテルの客室で、清掃チーフがベッドメイクする手元を、見習いエンジニアの久保がスマートフォンで撮影している場面
目次

この話について

会社:ホテル汐風/客室82室/清掃は社員6名とパート10名/チーフは勤続20年の62歳

困っていたこと

  • 客室清掃は、この宿でいちばん人が辞める部署だった。昨年は4人が退職し、うち3人は入って3か月以内。理由はそろって「何度も同じことで注意されて、自分には向いていないと思った」
  • 教え方が、勤続20年のチーフの「見れば分かる」しかなかった
  • 新人が1人で任されるまで3週間。その間ずっとチーフが張りつくので、チーフ本人の持ち部屋が減り、応援にも回れない
  • 15時に部屋が仕上がらない日が、月に6日あった

一 戻ってきた人

秋の汐風は、夏の団体客が引いて、海がひとまわり静かになっていた。

ロビーで待っていると、専務の原康孝さんが、もう1人を連れてきた。

「上田さん、ご存じですよね」

「……ええ、まあ」

久保なつみさん、26歳。この夏まで、この宿のフロント兼客室係だった人だ。数か月前にここを辞めて、いまはFDE Japanの教育プログラムの一期生になっている。

今回の主担当は、彼女だ。

「専務、こんなに若いのを出して、大丈夫なんですかって顔してません?」

「あなたが言うんですか」

理由は単純だった。わたしは客室清掃をやったことがない。久保さんは5年やっている。

「正直、複雑ですよ」あとで聞いたら、久保さんは笑った。「辞めた宿に、業者として戻るんですから」

「やりにくいですか」

「やりにくいです。でも、いちばん分かってる現場なので」

原さんが本題を切り出した。客室清掃が、いま宿でいちばん人が辞める部署になっているという。

「去年、4人辞めました。3人は3か月ももたなかった。理由を聞くと、みんな同じなんです。何度も同じことで注意されて、自分には向いていないと思った、と」

「注意していたのは」

「長嶋です。清掃のチーフの」

原さんは、言いにくそうに続けた。

「言っておきますが、長嶋さんが悪いわけじゃないんです。あの人がいるから、うちの部屋の評判が保ててる。ただ……」

「教え方が、あの人の中にしかない」

「そうです」


二 「見れば分かるでしょう」

2日目の朝8時、久保さんは清掃スタッフの制服を借りて、ワゴンの後ろに立っていた。

清掃部門を仕切っているのは、長嶋さん。62歳。汐風に20年いる。社員6名、パート10名の計16名を、朝礼の3分で動かしていく。どの階を誰が、何時までに。指示は速く、無駄がない。

「あら、なつみちゃん」長嶋さんは久保さんを見て、ふっと笑った。「辞めた子が、なんでうちの制服着てんの」

「今日は業者です」

「業者ねえ」長嶋さんは、わたしのほうをちらりと見た。「じゃ、2階の端から。10室ね」

願ってもない返事だった。わたしは廊下の隅に立って、ただ見ていた。

1室の清掃に、35分から45分かかる。ベッドを剥がし、シーツを替え、ユニットバスを洗い、掃除機をかけ、アメニティを補充し、備品を確認し、窓を拭く。書き出せばそれだけだ。だが実際の手の動きは、書き出した順番どおりには進まない。

清掃には、動かせない締切がある。15時。 チェックインの客が来る時刻だ。

朝10時にその日の退室が固まり、そこから5時間で、その日の分を仕上げる。82室のうち、連泊を除いた40室から60室。16人で割ると、1人あたり3室から4室。1室40分なら、休憩を挟んでちょうど収まる勘定になる。

だから、1室が10分遅れると、その人の最後の部屋が15時に間に合わない。誰かが応援に入る。応援に入った人の部屋が、今度は遅れる。

遅れは、必ず誰かに移る。 それが清掃という仕事の形だった。

久保さんは速かった。だが3室目で、長嶋さんに呼ばれた。

「シーツの角。これじゃ抜けるでしょう」

「……すみません」

4室目。

「歯ブラシ、これツインの置き方。ここシングルよ」

5室目。

「窓のサッシ。砂、残ってる」

久保さんは素直に直していたが、廊下に出たところで小さく息を吐いた。わたしと目が合って、苦笑した。

「5年やってたのに、全然できてないです」

その日の夕方、わたしは長嶋さんに聞いた。新人にはどうやって教えているのか。

長嶋さんは、少し困った顔をした。

「教える、っていうか……一緒に入って、見せるのよ。見れば分かるでしょう」

見れば分かる。

わたしはその言葉を、ノートに書いた。そして下に、線を引いた。


三 3日で31回

2日目から4日目まで、久保さんは部屋に入り続けた。わたしは廊下で、正の字を書いていた。

前回この宿で電話を数えたときと、同じやり方だ。久保さんが長嶋さんに直された箇所を、1つずつ数える。

3日で、31回。

だが数えているうちに、もっと大事なことに気づいた。31回の指摘は、ばらばらではなかった。同じところに集中していた。

  • ベッドメイクのシーツの角の入れ方……7回
  • アメニティの種類と置き方(部屋のグレードで違う)……6回
  • ユニットバスの水回りと排水口の処理……4回
  • 冷蔵庫とミニバーの確認の順番……4回
  • カーテンの合わせ方と窓のサッシの砂……3回
  • 忘れ物のチェックの順番(引き出し・金庫・ベッド下)……3回
  • 部屋のにおい……4回

7箇所。 31回の指摘の、すべてがこの7つのどれかだった。

わたしは長嶋さんに、この紙を見せた。

長嶋さんは黙って眺めて、それから言った。「まあ、だいたいそうね。新人はここで引っかかる」

「長嶋さん、これ、頭の中にあったんですか」

「あるっていうか……そうね、あの子はここが危ないな、っていうのは、見てれば分かるから」

見れば分かる。また、その言葉だった。

だが、わたしにはもう分かっていた。長嶋さんは教えるのが下手なのではない。教える言葉を持っていないだけだ。 20年かけて体に入ったものは、言葉にする必要がなかった。必要がなかったものは、言葉にならない。

もう1つ、数えた数字があった。長嶋さんが1日に呼ばれる回数だ。

3日目に数えたら、26回あった。廊下を歩いていて呼び止められる、内線が鳴る、部屋から顔を出して手招きされる。そのたびに長嶋さんは自分の作業を止め、階段を上がり、2分から5分かけて教えて、また戻る。合わせて、1日およそ1時間半。

それだけではない。夕方、新人が仕上げた部屋を回って、直せるところを直す時間が、さらに毎日30分あった。

新人が1人入るたびに、長嶋さんの時間は週12時間消えていた。

入って4か月の、23歳のパートの戸倉さんは、休憩室でこう言った。

「正直、聞くのがつらいです。1回教わったことを、2回目に聞くのが。長嶋さん、忙しいのに、って思うと」

「聞かないとどうなりますか」

「……たぶんこれで合ってるかな、で進めます。そうすると、あとで直されます」

直しているのも、長嶋さんだった。聞かれても聞かれなくても、その時間は長嶋さんから出ていく。

4日目に、もう1人、入ったばかりの人を見た。

グエン・ティ・ハーさん。24歳。ベトナムから来て、汐風で働き始めて3週目だった。日本語での日常会話はできる。挨拶も、報告も、はっきりしている。

だが、廊下から見ていると、彼女はよく立ち止まっていた。

部屋の真ん中で、シーツを持ったまま動かない。1分、2分。それから、廊下に出て、長嶋さんを探しに行く。長嶋さんが別の階にいれば、戻ってきて、また立つ。

「ハーさん、いま何を考えてました?」

休憩のときに聞いてみた。彼女は少し困った顔をして、それから言った。

「ここの部屋、シングルです。でも、コップが2つあります。2つのままか、1つにするか、分かりませんでした」

「長嶋さんに聞きましたか」

「聞きました。30分あとで」

30分。 その30分は、どの記録にも残っていない。作業時間としても、指導時間としても数えられていない。


四 「じゃあ、あたしは何すればいいの」

5日目、わたしは提案を持っていった。

7箇所を、長嶋さんの手元だけを写した短い動画にする。顔も声も入らない。30秒から1分。字幕はこちらでつける——

そこまで話したとき、長嶋さんが言った。

「それ、全部撮ったらさ」

手を止めて、こちらを見ていた。

「あたし、何すればいいの」

言葉に詰まった。

「あたしがやってることが全部その動画に入ったら、新人は勝手にできるようになるでしょう。そしたら、あたしは要らないよね」

「そんなことは」

「若い人は安いしね」

長嶋さんはそう言って、笑った。笑っていたが、目は笑っていなかった。

その日の夜、久保さんが、長嶋さんのことを教えてくれた。

長嶋さんが汐風に入ったのは20年前で、そのときはパートだったという。当時、客室清掃は外部の業者に頼んでいた。だが15年ほど前に業者が撤退し、宿は自前でやることになった。誰も段取りを知らなかった。

そのとき、部屋の割り振りと時間の配分を組み立てたのが長嶋さんだった。

「あの人がいなかったら、たぶん1回宿が止まってます」久保さんは言った。「わたしが入ったときには、もう完成してたんです。何時にどの階を、誰が。全部あの人の頭の中で」

属人化は、その人が悪くて起きたのではない。その人が支えてきた結果として、そこにある。

わたしは、駅前のビジネスホテルで、ノートを何度も見返した。

社内では、この問題は起きなかった。

前の会社で、わたしは経理の締めを3日から半日にした。担当者から作業を取り上げた形だが、その人は文句を言わなかった。空いた時間で別の仕事に移っただけだ。社内には、いくらでも次の仕事があった。

ここは違う。長嶋さんの仕事は、長嶋さんの居場所そのものだった。62歳で、この宿に20年いて、教えることが自分の役割だと思っている人から、教える仕事を取り上げたら、何が残るのか。

ノートに、自分への問いを1行だけ書いた。

取り上げたあと、その人が明日から何をするか、決まっているか。

決まっていなかった。

効率化というのは、その人の1日を作り替えることだ。空けるだけ空けて帰る人間を、現場は業者と呼ぶ。前の会社では、空いた時間の行き先を考えるのは本人と上長の仕事で、わたしの仕事ではなかった。ここでは、それを考えずに手を動かすことが、そのまま失礼になる。

翌朝、久保さんにその話をした。彼女はしばらく黙ってから、言った。

「長嶋さんにしかできないことを、1つ残しませんか」

「残す?」

「7つ全部を動画にしないってことです。あの人にしか判断できないものを、わざと1つ残す」

「どれを」

久保さんは、紙の7番目を指さした。

部屋のにおい。


五 においだけは、残す

「においは、撮れません」

わたしがそう言うと、長嶋さんは「そりゃそうよ」と笑った。

前の晩に泊まった客が何を持ち込んだか。湿気がどこにこもっているか。海風で窓を開けるべきか、閉めたまま消臭で足りるのか。それは、部屋に入った瞬間に長嶋さんが判断していることだった。

「6つは動画にします。7つ目は、長嶋さんに残します」わたしは言った。「新人が仕上げた部屋を、最後に長嶋さんが見る。それは変えません」

長嶋さんは、しばらく紙を見ていた。

「……あたしが、最後に見るの」

「はい。そこは仕組みにしません」

「動画があったら、あたしが見なくてもよくなるんじゃないの」

「ならないです」久保さんが横から言った。「わたし、5年やってて、においが分かるようになりませんでした」

長嶋さんが、久保さんを見た。

「……あんた、辞めてよかったのかい」

「分かりません」久保さんは正直に答えた。「でも、辞めなかったら、長嶋さんが20年でやってきたことを紙に書き出そうなんて、一生思わなかったです」

6日目の午後、撮影が始まった。

スマートフォン1台。三脚も照明もない。ただ、真横と真上から、長嶋さんの手の動きだけを追う。顔も声も入らない。

シーツの角を入れるとき、長嶋さんの手は、一度だけ大きく引いてから折り込む。そうすると、客が寝返りを打っても抜けない。久保さんがその場で気づいて、声をあげた。

「長嶋さん、いま、引きましたよね」

「引くわよ。引かないと抜けるでしょう」

「わたし、5年やってて、引いてませんでした」

長嶋さんが、初めて少し笑った。

撮った動画は6本。1本あたり30秒から60秒。編集はほとんどしていない。要らない部分を切って、文字を3つ4つ入れただけだ。

その「3つ4つ」を決めるのは、AIにやらせた。撮った動画をそのまま読ませて、手が止まりやすいところに印をつけさせ、短い字幕の案を出させる。

順番は、こうだ。

まず6本の動画を読ませて、映っている手の動きを、順番どおりに文章にさせる。「シーツを外す」「マットレスの位置を戻す」「新しいシーツを広げる」「角を折り込む」——そういう箇条書きが、1本につき10行ほど出てくる。

それを紙に印刷して、長嶋さんに読んでもらった。

「ここ、抜けてる」長嶋さんはすぐに言った。「シーツを広げる前に、マットレスを1回叩くの。前のお客さんの寝癖が残ってると、いくらきれいに敷いても膨らむから」

動画には映っている。だが、あまりに一瞬なので、AIは意味のある動作だと思わなかったらしい。その1行を足したのは、長嶋さんだ。

そうやって出来上がった手順から、新人がつまずくところだけを選んで、字幕にする。出てきた案を長嶋さんに見せると、半分は却下された。

「これは要らない。ここで迷う子はいないから」

「じゃあ、どこに入れますか」

「角を引くところ。ここだけ、太い字にして」

わたしは、長嶋さんが言ったことをそのまま喋ってAIに直させた。「角を引くところに1つ。太字で」。持ち帰って設定画面を開くのではなく、隣に座ったまま、口で言って、その場で入れ替える。字幕を入れ替えた動画が出てくるまで、2分もかからない。長嶋さんは画面を覗き込んで、また言った。

「太すぎる。これじゃ手が見えないでしょう」

戻して、また出す。10分のあいだに、6回入れ替えた。

「あんたたち、持って帰らないのね」

「持って帰ると、長嶋さんがいま言ったことを、わたしが思い出しながら直すことになるので」

6本ぶんの字幕が決まるまで、半日だった。手で書き起こしていたら、この作業だけで3日かかっている。その3日は、たぶん誰も出してくれない。やるかやらないかの線は、いつもそこにある。

字幕は日本語とベトナム語の2種類。清掃スタッフのうち2名が、ベトナムから来て働いている方だったからだ。翻訳もAIにつけさせて、日本語が読める1人に確認してもらった。直しが入ったのは「浴槽の縁」の1語だけだった。


六 2秒で開かないものは、無いのと同じ

置き場所で、一度もめた。

わたしは社内の共有フォルダに置けばいいと考えていた。管理が楽だからだ。久保さんは即答した。

「絶対に見ません」

「なぜですか」

「手袋してるんですよ。エプロンのポケットからスマホ出して、フォルダ開いて、階層たどって、って、誰もやりません。2秒で開かないものは、現場では無いのと同じです」

わたしは共有フォルダをやめた。動画は、廊下の清掃ワゴンに貼った小さな二次元コードから開けるようにした。部屋の中で、手が止まったその場で見られる。事務所に戻る必要も、長嶋さんを呼ぶ必要もない。

もう1つ、久保さんが決めたことがある。

動画に「正しいやり方」というタイトルをつけないこと。

「『新人がつまずくところ』にしましょう。正解を教える顔をすると、長嶋さんのやり方を否定したことになります。つまずくところをまとめただけ、なら、長嶋さんの側に立てます」

言われてみれば、その通りだった。同じ中身でも、名前の付け方一つで、現場での意味が変わる。5年間、名前を付けられる側にいた人の勘だと思った。

動画が使われた最初の日、わたしは廊下で見ていた。

ハーさんが2階の部屋に入り、シーツを持って、一度手を止めた。以前ならそこで廊下に出ていた。今回は、ワゴンに貼った二次元コードにスマートフォンをかざして、30秒の動画を再生した。

見終わって、部屋に戻った。手が動き出すまで、40秒だった。

40秒。 前は30分だった。

その日、彼女は誰も呼ばなかった。


七 「あの子、筋がいいわ」

3週間後、結果が出た。

ハーさんは、10日で10室を1人で任されるようになった。これまでは3週間かかっていた。日本語の日常会話はできても、長嶋さんの早口の指示は半分も聞き取れていない。ベトナム語の字幕がついた30秒の動画が、その半分を埋めた。

ハーさんは、こう言った。

「前は、分からないとき、待っていました。長嶋さんが来るまで、部屋で。いま、待たないです」

待っていた時間は、どの記録にも残っていなかった。 指導時間としてもカウントされず、作業時間としてもカウントされない。部屋の中で1人、次の手が分からずに立っている時間。それが1日に何十分あったのか、この宿の誰も知らなかった。

15時に部屋が仕上がらなかった原因の1つは、たぶんそこにあった。

長嶋さんの指導時間は、週12時間から週3時間半に減った。減った分、長嶋さんは仕上がりの確認に回るようになった。82室のうち、その日に不安のある部屋を選んで、最後に自分の目で見る。以前は、そこまで手が回らなかった。

15時に間に合わない日は、月6日から月1日になった。

長嶋さんの1日も、形が変わった。

以前は、午前中の大半を階段で使っていた。呼ばれて上がり、教えて、下りる。自分の持ち部屋は後回しになり、昼を過ぎてから慌てて回っていた。

いまは、午前中に自分の部屋を終わらせる。午後は、その日に不安のある部屋を選んで見る。

「あたしね、前はずっと走ってたのよ」長嶋さんは言った。「いまは、見てる時間があるの。……こっちのほうが、たぶん仕事なんだと思う」

そして、23歳の戸倉さんが、辞めなかった。

「何回も聞くのが申し訳なかったんです」と彼女は言った。「動画なら、何回でも見られるので」

3週目のある日、長嶋さんが久保さんに言った。

「あのハーって子、筋がいいわ」

久保さんがあとで教えてくれた。長嶋さんが人を褒めるのを、清掃部門の誰も聞いたことがなかったらしい。

「褒めなかったんじゃなくて、見る時間がなかったんだと思います」久保さんは言った。「ずっと走り回ってたので」

契約の最終日、専務がぽつりと言った。

「うちの標準って、長嶋さんだったんですね」

わたしはうなずいた。20年の判断が、この宿の品質そのものだった。それは強みだが、同時に、長嶋さんが休めない理由でもあった。

「あの動画、いま6本ですよね。増やしたほうがいいですか」

いい質問だった。そして、ここが次の分かれ道でもある。

「増やすかどうかより、誰が決めるかを先に決めてください」わたしは言った。「いまは長嶋さんが1人で『これは撮る』『これは撮らない』を判断できます。でも本数が増えたら、更新が回らなくなる。半年後に、中身が現場と食い違った動画が残っているのが、いちばん良くない状態です」

「じゃあ、どうすれば」

「3か月に一度、30分でいいので、長嶋さんと専務で見直す時間を取ってください。それだけです」

専務は手帳を開いて、その場で3か月後の日付に印をつけた。

そのうえで、7本目を撮るときにわたしが呼ばれずに済む形にしておいた。スマートフォンで撮った動画を、二次元コードの置き場に上げるだけでいい。上げた時点で、手の動きの箇条書きと、字幕の案と、ベトナム語訳が、勝手に付いて出てくる。長嶋さんがやるのは、出てきた案を却下することだけだ。AIは、わたしが座って喋りかける相手としてではなく、この仕組みの中に置いた。そうしないと、次の1本は永久に撮られない。

導入から半年、清掃スタッフの離職はゼロだった。

残ったもの。 教育は速くなったが、予約サイトから届く予約は、いまも人が手で転記している。日々の数字も、まだ月末にならないと見えない。

帰り際、長嶋さんが廊下で久保さんを呼び止めた。

「なつみちゃん」

「はい」

「あんた、こっちの仕事、向いてるかもね」

久保さんは、しばらく返事ができないでいた。

バスに乗る前、彼女は言った。

「上田さん。わたし、客室係のとき、辞めようと思ったことが3回あります。3回とも、教わり方でした」

そして、少し笑った。

「あの動画、5年前のわたしに見せたかったです」

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